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佐賀の人達

web上によくまとめられたものがあったのでご紹介。

佐賀と沖縄との関係-明治期・沖縄で活躍した佐賀県人-
http://www.sueoka-saga.jp/okinawa.html


明治期の沖縄にいた本土出身者といえば商人と役人です。鹿児島出身者がなにかと目立つのですが佐賀出身者もいます。
那覇市史資料編(第2巻中の7、p297)の表から寄留商人の出身地を多い順に挙げてみると、鹿児島(205)、大阪(15)、奈良(12)、福岡(10)、大分(7)、広島(7)香川(6)、徳島(5)になります。
※これ以下は省略しています。

上記サイトでは斎藤用之助と初代県令の鍋島直彬が沖縄で活躍した佐賀出身者としてあげられています。この二人も沖縄でのこした業績はたくさんありますので別項目でいつか取り上げます。
紹介したサイトはよくまとめられていますのでお薦めします。

大渡の用之助港 | 土木学会 選奨土木遺産
http://committees.jsce.or.jp/heritage/node/554
竣工年 明治40年
斎藤用之助により漁業振興のために計画された港口の掘削事業。珊瑚礁に囲まれた沖縄ならではの土木遺産として価値が高い。
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若狭町 古地図

若狭公民館の高齢者学級で作成された本があり、その付図に昭和19年の10・10空襲直前頃を想定して作られた地図があります。
うきしま大学「今残す若狭町古地図」

古地図というには新しすぎる気もしますが地域図の最新版ということで歓迎したいです(このブログではこの図を「わかさ民俗地図」と呼びたいと思います)。
この図の下側に ※基本にした地図「番地入地形入 那覇市全図 昭和4年」 という注意書きがあります。
地域の民俗地図には妙に正確なものと手書きのものが入り交じっていて「若狭町古地図」は正確なんですが下敷きになっている図の名前がわかりました。

自分が確認している戦前の民俗地図は、上之屋、壷屋、牧志、安謝、若狭、仲井真、久茂地です。首里もあったような気がしますが範囲外なのでわかりません。
改めて各地図を比較してみると手書きのものでも元の図は「番地入地形入那覇市全図」だったんだろうなとおもわれる特徴が残っています。民俗地図は那覇市主催で制作されていると思われるので下図は同じものが使われているのでしょう。
このへんも那覇市史ニュースを見ていけば書かれているのかもしれません(読んでいない)。
ともあれ参考になりそうな資料があるということが確認できただけでもありがたいです。

【追記】web上に図の画像(一部)がありましたので転載します。

掲載元は下記アドレスのページです。
http://blog.goo.ne.jp/hirayanitumogenki/e/a3d340765ac087b42168e811946469d3

繁多川

すばらしいサイトを見つけたのでご紹介。

わたしたちの那覇市-総合学習
http://www.nahaken-okn.ed.jp/watashi/sougo/3mukashi/index.html


「Copyright(C)2002 那覇市立教育研究所」となっています。
これ那覇市の小学生向け総合学習の教材のようですが繁多川の旧跡がこれでもかとばかりに図に書き込まれています(フォントがOS9時代のMacっぽいな)。

煙草の乾燥工場とか話でしか聞いたことがなかったなー
すげー

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