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泊港の輸出入高/与那原港

泊港昨年中の輸出入高を聞くに輸入は
薪木471120、丸材木45本、キチ1345束、松板236枚、真竹17587束、竹茅2470束、製藍629950斤、木炭3740斤(*1)、製糖906梃、白土1087000斤、牛56頭、山羊60頭、白米210斤、大麦3000升、白太豆2100升、石灰12升、船舶542
輸出は
焼酎1820升、素麺5390斤、昆布120斤、茶2654斤、白米44980升、味噌310升、石油1790升、白太豆8580升、蕃藷粕2400升、樽皮567梃、イク木535本、素焼甕218個、瓦114500枚、杉板117間、石灰300升、伊集木60本、船舶536隻なりと
明治35年1月19日
沖縄県史 資料編6 新聞集成政治経済1 p363(抜粋と編集)


輸入の「木炭3740斤」は「37、40斤」となっていて桁間違いか数字が抜けたかのどちらかだと思われます。
数字の表記は「四七一、一二〇」のようになっていますが「471120」のように略しました。
与那原はどうだったか。
輸入
薪木3648777、丸イーク木50本、イークキチ90本、雑柱木8788本、雑キチ2971本、真竹14803個、竹茅3005束、木炭88個、樽板165500枚、製藍425笊、エリツス40122個、砂糖1738梃、島絣27個、船舶数1457
輸出
焼酎511500合、素麺13295斤、昆布758斤、茶7948斤、味噌3700合、石油9200合、白米548300合、食塩1800合、大豆1850合、石灰4900合、甘藷152740斤、豚26頭、船舶数1452
明治35年1月17日
※明治34年1月から12月までの総数
沖縄県史 資料編6 新聞集成政治経済1 p362から項目と数字のみ抜出


船舶数は泊港が500台、与那原が1400台で倍以上の開きがあります。
泊港に入ってくるもので与那原港にないのが白土ですがこれは壺屋向けなんでしょう。1升は10合なので与那原港から輸出された焼酎は51150升、泊港からは1820升ですからこれは相当の開きがあります。
明治43年の統計書では泡盛の生産量は首里が那覇の倍以上になっています(1斗=10升)。首里からは東海岸の与那原港へ持っていった方が早かったんでしょうね。

那覇 25戸 9137.3斗
首里 106戸 21050.0斗
島尻 11戸 834.5斗
中頭 7戸 661.3斗
国頭 3戸 150.0斗
宮古 6戸 332.4斗
八重山 17戸 301.7斗
那覇市史資料編第2巻下 p434(引用と編集)
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金祿の本人受取及代理受取

金祿の本人受取及代理受取
去12日迄に下渡したる当37年度上半期分金祿額は583,012円66銭8厘にして、内本人受け取りは62人、7,970円83銭8厘にして、残り217人、50,341円83銭は代理受取なり。代理受取人の員数、代理人姓名、金額の細別は左の如し。

員数|金祿受取総計額|代理者姓名
83人|20、469、449|相良熊次郎
53人|18、744、329|高嶺朝教
79人|14、347、204|山城高興
2人|783、848|読谷山朝慶
計217人|50、341、830|4名

以上は目下債権者の為めに差押へられたる金祿を除きたるものなれば今回下渡すへき金祿は此以上なりと知るべし。
明治37年8月17日
沖縄県史 資料編6 新聞集成政治経済1 p590(抜粋と編集)


金祿(金禄)ということなんですが士族へ支給された家禄のことではないかと思います。

当時、家禄というものがありましてね。ウドン、トンチ(御殿・殿内)は、それが一時に半年分だとか一年分とそういうふうに入ってくる。その公債が売買出来るものだから、ジンコー山城なんかそれで儲けた(笑)という話もありました。
市民の友1963年6月15日 第154号(一部編集)
グダグダ(β) 那覇はどう変わったか(63年) 3


シンコー山城は山城高興(ギンコウヤマグシク)で金融関連だったようです。そして那覇屈指の富豪でもあります。

高嶺朝教、読谷山朝慶は御殿の人ですね。
高嶺御殿 - Wikipedia 十一世・高嶺朝教
読谷山御殿 - Wikipedia

阿旦葉帽子会社と軍人遺族救護

県史に興味深いものがあったので引用します。

阿旦葉会社
今回、上運天憲直、真栄田正隆、楚南叔玉、小渡鴻翥、照屋林顕の諸氏発起となり十数名の株主によりて阿旦葉帽子製造を計画し、重に字久米軍人遺族を職工としいささか救護の途を尽す所あらんとす。大に有望なるこの事業にしてこの目的あるは商事会社としても亦特殊の美挙なりと評するものあり。
明治38年11月17日
沖縄県史 資料編6 新聞集成政治経済1 p677(抜粋と編集)


照屋林顕は実業家の金持ちです。久米にアダン葉帽子会社があったらしいのですが、それがこの記事で取り上げられたものかどうかはわかりません。
明治38年ですから日露戦争の遺族のようです。

【追記】「アダン葉帽子編み 比嘉道子」というアダン葉帽子について詳しく述べているものがありましたので引用します。

またこの年は日露戦争が勃発。新た徴兵令が施行された沖縄からも召集されて、3800人余が参戦している。そのうち戦死者205人、戦病者149人を出した。これらの軍人遺家族や帰還兵の就業が社会問題となっていた。そういう時代背景のもとに帽子編工募集も、「但シ帰還軍人及仝家族ハ特ニ優待ヲナス」という但し書がつく。
アダン葉帽子編み 比嘉道子/名護博物館紀要4 あじまぁ p228

城間康雄

城間康雄
沖縄陶器株式会社重役
那覇市1区1組
氏は祖先伝来陶器業を営む家庭に生を享け、其盛名を傷けず今日の大を成す。明治27(1894)年那覇市に生まれ、学業を卒へるや家業に精勤、祖先より斯界に奮迅する事今日230年に及ぶ。大正6年海兵団に入団、海軍下士官として欧州戦争などに参加、欧州諸国、地中海方面に活躍して戦勝章を授かる。昭和17年沖縄全島戦時統合に依る工業組合長に推され、其間亦政界への進出も目覚しく那覇市議会議員に当選、政治、経済の大御所として広く其名を知られ、戦後兄弟相協力して陶器業の機械化をはかり沖縄工業の発展向上に尽する見るべきもの甚大なり。
琉球人事興信録 1950(抜粋と編集)


市場通り(52年) 2に沖縄陶器があります。
沖縄陶器株式会社で検索すると「壺屋博物館建設物語」というpdfがヒットしますが、その中に「城間康裕沖縄陶器株式会社社長」という名があり、上で引用した琉球人事興信録の家族の項にも「二男康裕」とありますので息子さんなのでしょう。
※人事録の引用の際には家族欄は基本的に省略しています

壺屋の姓は城間、高江洲、小橋川などがありますが、城間康雄さんの家も引用文の通り代々陶業を生業とされてきたのでしょう。

知念績貞

昭和12年の沖縄県人事録から知念績貞さんです。

知念績貞
砂糖委託商(マル三倉庫経営)
那覇市西新町3ノ7
君は明治8(1875)年を以て首里市儀保町に生る。大正10年砂糖委託商を営み丸三倉庫を経営して今日に至る。現在那覇商工会議所議員、沖縄糖業互助会評議員等の要職にあり、嘗ては沖縄糖小組合評議員たりし事もある。(中略)今や市内屈指の砂糖委託倉庫として家業隆盛の一途を辿り、財力とともに其企業的手腕を謳わる。嗣子雅二郎君は宮古王宮里三郎氏の令弟にして宮古商会南洋方面の事業監督を担当し同地に活躍す、趣味は囲碁。
【家庭】妻ツルさん(明17)、嗣子雅二郎君(明35)、嫁ヒデ子さん(明38)、孫貞男君(昭7)、同みち子さん(昭5)があり頗る円満である。
沖縄県人事録(抜粋と編集)


まず「西新町3ノ7」。

沖縄タイムス掲載「思い出のわが町」の「戦前の西新町民俗地図」には3ノ7の位置に「知念」がありますのでここが知念績貞さんの丸三倉庫だとおもわれます。


米次商店

米次源吉の米次商店です。
1・2丁目
左図で色を付けた範囲が西本町です。沖縄タイムス連載「思い出のわが町」の「戦前の西本町民俗地図」にはポインタの位置に「米次」とあります(右図参照)。
まちのたね通信に「西本町大通」と題された写真があり、そこに「米次商店」の横断幕が写っています。

那覇まちのたね通信 | 西本町大通
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=477

米次商店の場所は最初の図の位置で間違いないと思うのですが、那覇民俗地図・戦前の西本町民俗地図ともに「西本町大通」という名は探せません。


大正5年の沖縄県人事録の米次商店の紹介で、画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫のものを切り出して画質調整してあります。

アジア歴史資料センター

検索していたらアジア歴史資料センターで資料が閲覧できる事に気がつきました。陸軍墓地(安里)安里射的場に関係のある資料をためしに探してみます。
トップにも検索窓がありますが詳細検索のほうが便利そうです(まだよくわかっていません)。

アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/


検索方法がよくわからないので(笑)、キーワード検索で「大日記 安里」で検索、検索結果の五番目に「6督より沖縄分遣隊練兵場地所買収の件」とあるので見てみます。

件名 6督より沖縄分遣隊練兵場地所買収の件
【 階層 】防衛省防衛研究所>陸軍省大日記>伍大日記>伍大日記>伍大日記>明治23年>明治23年 「伍大日記 1月」
【 レファレンスコード 】C07050200900【 画像数 】16

左の閲覧をクリックすると別ウインドウが開きます。「DjVu Plug-in」というソフトのインストール許可が出てきますが使わなくても閲覧は可能です。
別ウインドウ上の右上に「DjVu」と「JPEG」の切り替えボタンがあり、JPEGで見る場合には切り替えるとJPEGで表示されます。また右上にある「印刷用ページ」をクリックすると別ウインドウで画像が表示されます。

「6督より沖縄分遣隊練兵場地所買収の件」の冒頭3ページです(右から1、2、3ページ)。元のサイズは<828×1170 392KB>のハイレゾ画像ですが、掲載したものは40%に縮小してありますので判読しにくくなっています。


真ん中の文書には「沖縄県下真和志間切安里村ニ於テ練兵場及射的場開設地トシテ官民有地〜」とあります。ちゃんと全部は読めません... orz
8ページ目には「目下陸軍所轄地ハ国場村射的所同村埋葬地及安里村埋葬地ノ三ヶ所ニシテ其ノ地積ハ三千八百伍拾八坪〜」とあり後段では国場村の土地は返しても構わないよといっています。

利用規則:http://www.jacar.go.jp/kisoku/kisoku.html
よくある質問:http://www.jacar.go.jp/qa/qa.html
論文等への引用:http://www.jacar.go.jp/inyo/inyo.html

使用条件等は探せなかったのですが、特に拒否をしているようでもないですので法に基づく通常の引用は可能だとおもわれます。この記事での引用が適切かどうかはともかく(汗)資料としてあげられた文書がwebですぐ閲覧できるのはありがたいです。

【余談】「本邦ニ於ケル右翼運動及同団体関係雑件 分割4」というのに昭和7年創立の那覇市在右翼団体の調査報告があります。探したら面白いのいろいろありそうですね。

那覇 (1)一般右翼団体 沖縄青年協会 事務所 那覇市松山町二ノ二〇 創立 昭和七年六月二十四日 資金ノ出所 当分各幹部之ヲ醵出ス 幹部及主ナル会員 協会長―又吉祐三郎。幹事長―古波藏三吉。執行部―又吉祐三郎、名護良英。調査部―山口重茂、古城惠寛。教育部―古波藏三吉。宣伝部―山城松繁、豐里善継。事務部―上與那原朝敏、粟國盛孝、石川正秋。会計―古波藏三吉 会員数 五〇名 主義綱領 真理ノ把持、正道断行ノ大旗ノ下ニ結成ス 一、剛気ノ修練場一、建破ノ裁行一、開化ノ動員 一、共栄ノ花園 主ナル行動 一、昭和七年六月二十四日那覇市上ノ藏町二ノ六四番地又吉祐三郎方ニ於テ発会式ヲ挙ゲ左ノ通リ宣言決議ス

田代清雄

昭和12年の沖縄県人事録から田代清雄さんです。
この方は教育者なのですが、カテゴリ分けの都合上寄留商人カテゴリに分類しています(寄留商人カテゴリは他府県出身者)。

田代清雄
沖縄聾唖学校長
那覇市外真和志村与儀1753
独力私立聾唖学校を設立してここに10有余3年、挺身本県聾唖教育に従事して毫も倦むことなく、着々実績を挙げて成功の域に到達せる人に田代清雄君あり。君は鹿児島県人元沖縄県立中学校教諭田代清次郎氏の息、明治27年を持って生る。明治27年に来県し少年時代を那覇市に生立ち、38年家事都合にて当地を引揚げしが、鹿児島中学卒業後盲唖教育に携はるに及び、揺籃の地那覇を想起し、其の盲唖教育の欠如せるを慨嘆して遂に意を決して再び来県し、聾唖学校を経営して今日に及べり。
沖縄県人事録 (抜粋と編集)


wikipediaの沖縄県立沖縄ろう学校から引用します。

1924年に長田代清雄[※ママ]により那覇市若狭に設立された沖縄聾唖学校が当校の始まりである。その後、1943年には盲学校であった沖縄県立代用私立盲学校と合併し、沖縄県立盲聾唖学校となったが、太平洋戦争などの影響により1945年2月に閉校した。
沖縄県立沖縄ろう学校 - Wikipedia


名前が「長田代清雄」になっているのですが、最初に引用した沖縄県人事録を確認すると「田代清雄」でした。昭和4年の沖縄県人事興信録に「田代淸雄」という名がありますのでこちらが正しいのではないかと思われます。
(改訂 2012.9.14)

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