昭和12年の沖縄県人事録から田代清雄さんです。
この方は教育者なのですが、カテゴリ分けの都合上寄留商人カテゴリに分類しています(寄留商人カテゴリは他府県出身者)。
田代清雄
沖縄聾唖学校長
那覇市外真和志村与儀1753
独力私立聾唖学校を設立してここに10有余3年、挺身本県聾唖教育に従事して毫も倦むことなく、着々実績を挙げて成功の域に到達せる人に田代清雄君あり。君は鹿児島県人元沖縄県立中学校教諭田代清次郎氏の息、明治27年を持って生る。明治27年に来県し少年時代を那覇市に生立ち、38年家事都合にて当地を引揚げしが、鹿児島中学卒業後盲唖教育に携はるに及び、揺籃の地那覇を想起し、其の盲唖教育の欠如せるを慨嘆して遂に意を決して再び来県し、聾唖学校を経営して今日に及べり。
沖縄県人事録 (抜粋と編集)wikipediaの沖縄県立沖縄ろう学校から引用します。
1924年に長田代清雄[※ママ]により那覇市若狭に設立された沖縄聾唖学校が当校の始まりである。その後、1943年には盲学校であった沖縄県立代用私立盲学校と合併し、沖縄県立盲聾唖学校となったが、太平洋戦争などの影響により1945年2月に閉校した。
沖縄県立沖縄ろう学校 - Wikipedia名前が「長田代清雄」になっているのですが、最初に引用した沖縄県人事録を確認すると「田代清雄」でした。昭和4年の沖縄県人事興信録に「田代淸雄」という名がありますのでこちらが正しいのではないかと思われます。
(改訂 2012.9.14)
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