城間康雄
沖縄陶器株式会社重役
那覇市1区1組
氏は祖先伝来陶器業を営む家庭に生を享け、其盛名を傷けず今日の大を成す。明治27(1894)年那覇市に生まれ、学業を卒へるや家業に精勤、祖先より斯界に奮迅する事今日230年に及ぶ。大正6年海兵団に入団、海軍下士官として欧州戦争などに参加、欧州諸国、地中海方面に活躍して戦勝章を授かる。昭和17年沖縄全島戦時統合に依る工業組合長に推され、其間亦政界への進出も目覚しく那覇市議会議員に当選、政治、経済の大御所として広く其名を知られ、戦後兄弟相協力して陶器業の機械化をはかり沖縄工業の発展向上に尽する見るべきもの甚大なり。
琉球人事興信録 1950(抜粋と編集)市場通り(52年) 2に沖縄陶器があります。
沖縄陶器株式会社で検索すると「壺屋博物館建設物語」というpdfがヒットしますが、その中に「城間康裕沖縄陶器株式会社社長」という名があり、上で引用した琉球人事興信録の家族の項にも「二男康裕」とありますので息子さんなのでしょう。
※人事録の引用の際には家族欄は基本的に省略しています壺屋の姓は城間、高江洲、小橋川などがありますが、城間康雄さんの家も引用文の通り代々陶業を生業とされてきたのでしょう。
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