忍者ブログ

グダグダ(β)

メンテナンス中/内容について一切保障できません
3/24アクセス解析再設置/不快に感じられる方はJavaScriptオフを推奨

MENU  ブログ内検索は左のMENUからできます

ENTRY NAVI

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

久茂地川の橋脚

沖縄タイムス | 終戦前後の写真140枚収集
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-07-13_36243


たぶん1枚目の写真は那覇尋常小学校(現上ノ山中学校)ではないかと。
2枚目は東町からバスターミナルを望んだところ。橋脚は鉄道のものだとおもわれます。
参考:グダグダ(β) 那覇上空

"J.K.Hofer"で検索するとrememberingokinawaにページがありました。
同じ写真もあります。

1945-46 J.K. Hofer Photos Page 1
http://www.rememberingokinawa.com/page/1945_hofer_photos_pg1


http://www.rememberingokinawa.com/page/1945_hofer_photos_pg2
http://www.rememberingokinawa.com/page/1945_hofer_photos_pg3


とりあえずNPOの動きをメモ代わりに記録したということで。
ほんとは歴史博物館とかがやったほうがいいんでしょうけども...
PR

リュウキュウマツの杭

少し前の沖縄タイムス記事から。


http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-07-03_20034/
那覇市久茂地の沖縄タイムス社新社屋建設現場から、旧社屋の基礎に用いたリュウキュウマツの杭(くい)が見つかった。3本一組で連結して使われていた。リュウキュウマツは油分を多く含み腐食しにくいことから、1950年代にコンクリートや鋼管に代わる基礎材となったが60年代以降、建物の高層化に伴い姿を消した。戦後の物資不足を象徴する「発掘」となった。
---
材料は本島北部から800本以上取り寄せ、長さ2~3メートルに裁断したマツ杭を3本一組に連結。米軍から借りた機械を使い、地中に打ち込んだという。
上原名誉教授によると、県内でのマツ杭は、60年ごろまでビルの基礎材として使われた。建物の高層化に伴い、頑丈なコンクリートや鋼管を確保できるようになり、マツ杭は次第に姿を消したという。


タイムス記事は消えてしまうものもあるようなので(?)メモ代わりに。
建物は「旧社屋は総工費2000万円で、1956年8月國場組が工事を請け負い、翌57年6月に完成。鉄筋コンクリート3階建てで当時県内の民間ビルとしては最大規模を誇った」そうです。
まちのたね通信にある完成あとの写真。

那覇まちのたね通信 | 沖縄タイムス社周辺に建物なし/昭和32年(1957) 12月25日
米軍1号線(国道58号)に歩道が無い

http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=3403


那覇まちのたね通信 | 沖縄タイムス社 大典寺側未舗装/昭和33年(1958) 3月10日
タイムス前十字路・軍1号線・国道58

http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=3404

仏壇通り 2

仏壇通りが終焉を迎えているようです。都市計画はこんな感じ。

戦後ヤミ市に規定されてしまった那覇市のデザインの欠陥部分を更正するための計画なのがよくわかります。市街地の細い道路と周辺へ接続する道路の細さというボトルネック部分の拡大ですね。

写真は「那覇まちま~い」さまより無断借用。

惜しむ声もあるようですが町を観察していないなという感想しかもてません。大分前から仏壇屋以外は続々と移転していましたし小さな商売は安定してやっていけないような場所でした。仏壇は必要になった時にないと困るので不便な場所でも足を運ぶしかないというような性格のものですので商売としては強いです。なのでどこへいっても同じ商売です(手持ちで帰れないし)。

現在の通りは農連市場密着型バイク屋、レンタルビデオ(近所相手)、パン屋が目立つくらいでしょうか。裏手に老朽化した木造住宅が密集している場所もあるのでそこも含めて全部リニューアルということになるのでしょうね。

銘苅古墓群顛末

新都心再開発が決まってから銘苅古墓群が出土したことで都市計画は変更がなされました。
地主たちは再開発のために換地などにも応じていたせいもあり、古墓が保存されると商業・住宅以外になることに抵抗があったようです。そしてとどめに「死者の谷」という報道に不愉快感を抱かされました。

---以下放言として。---
「死者の谷」はエジプトの死者の谷をイメージしたのでしょうし、死者の谷というのは悪い言葉ではないと個人的には思っています。玉陵だって中に眠っているのは「死者」ですからね。
感じるのは言い訳臭さです。土地利用で最大限の利益を得たいというのは当然としても、死者の谷云々はそのための言葉尻のあげつらいあいでしかないような印象を受けます。その主な理由は死者の谷という言葉が風評で土地の価値をさげるのではないかといった趣旨の地主の発言です。
ですが結局のところ「墓」にたいする複雑な感情が古墓群を保存させたというのは皮肉なもんです。
----
ともかく記載されている記述を引用します。

「私たち地主の意志を無視して、個人の所有財産を勝手に『死者の谷』などと称するなどはもってのほかであり、そのことによって新都心のイメージを大きく失墜させたばかりでなく、那覇新都心の開発整備事業を阻害し地権者の利益を損なうものであり、このことは決して許されるものではなく、その責任を強く問うものであります」
那覇新都心物語 p62

地主会の同意があれば古墓群を「記録保存ではなく現地保存」したいとする那覇市に対し、「記録保存にとどめ、埋め立てる」ことを主張する地主会との間で意見が対立していた。「古墓群問題は、まさに降って湧いたようなような問題だった」と与儀幹事は話す。「これから事業をすすめてゆこうという時に冷や水を浴びせられたようだった。私としても本音の部分では埋める方がいいと思っていたが、建築家としての部分では残すべきという思いもあり、悩んでいた」。
あるとき与儀幹事は銘苅の長老に呼ばれた。
「○○、ヘーク埋ミレー(早く埋めなさい)」
「しかし、ウンジュナー(あなた)の土地として墓の部分が換地されたらどうしますか?墓にパイルを打って家を建てますか?」
「ナラン(だめだ)。それならあんたの思うようにしなさい」
このようなやり取りを経て、与儀幹事は「墓を残そう」と腹を決めた。
那覇新都心物語 p63(一部編集)


まぁ読んでるとうんざりしますがともかく残ってよかったです。現在の銘苅新庁舎の裏はきれいに保存されていて好感が持てます(少々さっぱりしすぎな感じがしますが)。
牧志の緑が丘公園も古墓地帯ですが開発されたあとにはあの「空気感」が消え去ってしまいました。自分にとってはパラダイス通りのマンション裏にある墓のありようが本来の墓があった空気です。
自分にいわせれば現在の新都心一帯は歴史のない土地、あるいは歴史の痕跡が希薄な土地といったとこです。

【追記】那覇市教育委員会により那覇市文化財調査報告書第72集として「銘苅古墓群 -重要遺跡確認調査報告書-」が作られています。写真や図表も豊富でさまざまな角度から書かれた面白いものです。

那覇豊見城境界線

那覇と豊見城が境界線設定でもめています。
画像は「広報なは」のpdfから切り出しました。
那覇豊見城境界線
経緯をまとめてみるとこんな感じです。
(1)国土地理院が昭和48年に境界線の位置確認依頼を出す
 ※那覇市は戦前の専用漁業権に基づいた位置との認識
 ※豊見城は昭和48年の国土地理院での境界線が境界線であるとの認識
(2)国土地理院の境界線は瀬長島の帰属を示したものであるということが判明
(3)平成13年に18世紀作成の「琉球国惣絵図」が米国で発見され、海上境界線「海方切」が那覇市の主張と同じものであることが判明する
(4)現在豊見城は陸地間の中間が境界線であると主張
※広報なはの要約です


もめ事の再燃は滑走路の増設とそれにともなう交付金の発生が原因のようです。
資料が出て来てややこしくなってきたんでしょうね。

「広報なは」は那覇市のサイトからダウンロードできます(該当の記事は2011年の3月号)。
図の出典元はこちらで説明しました。

牧港の海岸線

周辺地域の浦添の牧港。

※右写真はhttp://yuinomachi.jp/?p=1171からのものです。

開発反対に対するグチになりますが。
あっさり言ってしまえば土地を遊ばせておける余裕が現在の沖縄中南部、特に都市圏には一切ないんですよ。なのでこの程度の開発予定は自分はOKです。
航空写真を見てわかるように基地の中の伸び伸びした区画と民間地域の密集度が際立っていて、このあたりは国道の交通も決して良くありません。沖縄の人口密集度は東京レベルの酷さで渋滞による経済損失もかなりのものです。
そして中南部の都市圏で沖縄経済のほとんどを稼ぎ出しているのでここで稼がなければどこでも稼げません。ゆえに都市圏の効率を向上させる事は浦添だけの問題でもない全県的な至上命題です。

バイパス建設で交通をスムーズにする事は道路の先にある市町村にも利益がありますし、牧港の開発は悪くない案だと思います。現に58号線一帯の立体交差工事でかなりストレスは減りましたからね...
開発や保護にもメリハリや重点地域を設定すべきでなにがなんでもというのは少々現実を無視した絵空事でしかないと思いますよ。
経済と生活を無視したエコなんて(略)

翁長助裕

元副知事の翁長助裕さんが亡くなられました。
現在の那覇市長の翁長雄志さんのお兄様、元真和志市市長の翁長助静さんの息子さんでもあります。
翁長氏は1936年3月生まれ。那覇市古島出身。法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻を修了後、62年に琉球政府計画局勤務。72年から県議会議員2期、84年から県教育委員長を3期務めた。西銘順治元知事時代の87年には県出納長に就任。89年から90年まで県副知事を務めた。94年の県知事選にも出馬。副知事退任後は、那覇空港ビルディング会長などを歴任した。
終戦時に9歳の戦中派ですね。大学院へは自費でしょうか。

話は変わりますが養秀同窓会のサイト内に「国学・一中出身者同窓生リスト」とがあります(pdf)。それをjpgに変換しました(クリックで表示されます)。
1.jpg 
2.jpg
[1191×1184 416kb]
2.jpgの134に翁長助静さんの名前があります。そうそうたる顔ぶれですが戦前の沖縄県内での一中と二中の突出がよくわかります。
Wikipediaの首里高校の項には著名な卒業生という項目があります。
>翁長助静(T14卒) - 真和志市長
http://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄県立首里高等学校

那覇市長の翁長雄志さんは三男、お亡くなりになられた翁長助裕さんは名前の「助」が翁長助静さんと共通しますから長男だったのかもしれません(調べていません)。
名乗り頭もうやむやになって来ていて必ずしもあてにできるわけではないのが現状ですが、お父様があの時代の一中の出身で名乗り頭がある家というのは士族籍だったのでしょう。

※自分は氏(ウジ)のこと、特に首里のことに関してはまったくわかりません(すみません)
※興味のある方は下のアドレスをご覧くださいませ m(_ _)m


http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/B1241188/1/vol05/5-6.htm

那覇市議会[那覇市議会史]

素晴らしい!ぶらぼー!

那覇市議会[那覇市議会史]
http://www.gikai.city.naha.okinawa.jp/history/index.html
平成7年度発刊 第3巻上 「議会の活動」アメリカ統治期
平成8年度発刊 第4巻 「新聞にみる議会」戦前期
平成9年度発刊 第3巻下 「議会の活動」復帰後
平成11年度発刊 第5巻 「議会の記録」アメリカ統治期(合併前)
平成14年度発刊 第5巻 「議会の記録」アメリカ統治期(合併後)5.48MB
平成15年度発刊 第4巻 「新聞にみる議会」アメリカ統治期(合併前)8.59MB
平成19年度発刊 第2巻 「議会の法規・組織」6.72MB
平成20年度発刊 第4巻 「新聞に見る議会」アメリカ統治期(合併後)印刷用21.4MB
平成20年度発刊 第4巻 「新聞に見る議会」アメリカ統治期(合併後)検索用31.5MB              
平成21年度発刊 第4巻 「新聞に見る議会」復帰後印刷用21.9MB


末尾にMBの表示がついているものはpdfでダウンロード可能!
那覇市は市制要覧を紙で発行するのをやめてpdfにしているので同様の方針の電子化だと思いますがよくやった!という感じです。

これでなにがわかるのかといえば戦後長い間解決しなかった土地問題やなんかがよくわかります(それだけではありませんが)。具体的には戦後からしばらく土地名義人の意志と関係なく進められた居住とその解決、代替地、基地による立ち退きとその移住先、保証などです。
那覇市史などで通史化(読み物化)されたものはとっつきやすくていいのですが、細かいことなどは原資料にあたらなくてはいけなくなります。そういうのが手軽にできるのは素晴らしい。

ただ10.4Tigerのプレビューだけかもしれないのですがpdf内の文字検索が出来ません。まぁ目次も一応あるんですけども...
pdfビューワーで解決可能かどうかちょっと調べてみたいと思います。

× CLOSE

ブログ内検索

アクセス解析

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

最新コメント

[08/08 なちょうらーざ]
[07/19 shimoji]
[07/19 shimoji]
[03/21 2階の店舗の娘]
[03/05 福島敏彦]

× CLOSE

Copyright © グダグダ(β) : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]