忍者ブログ

グダグダ(β)

メンテナンス中/内容について一切保障できません
3/24アクセス解析再設置/不快に感じられる方はJavaScriptオフを推奨

MENU  ブログ内検索は左のMENUからできます

ENTRY NAVI

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

真嘉比の再開発

真嘉比の再開発が進み景観も一新されつつあります。
道が一つ消滅したのをご紹介。

頭上で赤で囲んだ部分、真嘉比小学校北から330号へ下りる道が330号に出入りできなくなりました。大道から上って行く道は上・下大道原の境界で、真嘉比小学校の南からは真嘉比前原になります。現在のDFSあたりは真嘉比西原で真嘉比でした。
マカンミチは安里のオキナワの嶽付近から北上して安里集落の後方を通り、ケラマチージのそばを通り330号を越えて真嘉比に入ります。そして真嘉比川原(マカンジャーラ)の北を通って環状二号へ出ます。マカンミチは多く真嘉比や古島の原(ハル)の境目になっています。

現代の暮らしの視点では、消滅した道は中央分離帯があり右折場所が限られる330号で真嘉比集落に入って行ける唯一の道でした(北上方向への進行)。また真嘉比からは330号に出て北上(右折)も南下(左折)もできる便利な交差点です。
バイパスを安里から北上するとこの交差点まで右折できる箇所はありません。同じように真嘉比側からは右折できる箇所はこの交差点と興南高校そばの高架しかありません。
図では黒で強調した新都心の道路が直線的に延長されて坂下方面まで直進しますが、規格が大きめの道路なのでこの道路の周辺では同じようなことが起こります。

細い道が抜け道になっての慢性的な渋滞や、生活道路への車両の進入を考えるとしょうがありませんし新しい道路の方が事実便利です。
ともかく変化の記録ということで書き留めておきます。
PR

軍用地内の区画


写真は不動屋さんから拝借。
左側の写真は中央を斜めに走る58号線を境に左がキンザー、右が民間地。マチナトショッピングセンター付近で那覇からも遠くない便利な住宅街です。
右側の写真は左でマーキングされている(売買物件であった)付近のクローズアップ。


上の図に書き込まれている土地の境目をカラーで強調。
左写真の各ラインはピンクが軍用地内の土地区画、黒の58号線、オレンジの民間地内区画です。
右写真では軍用地内の旧道を紫のラインで示しています。

キンザー内の土地利用が土地保有の区画とは無関係に行われていること、右側の民間地では区画は道路に従うように分割されていることがわかります。
また軍用地側もかつて存在した道路によって土地保有の区画がされていること、その道路も右側の民間地と繋がるような形であったこともわかります。
このことは右側の民間地の道路も土地接収以前の道筋に従っていることも示しています。

この写真は浦添市牧港で、このブログは旧那覇・旧真和志のみを対象にしているのですが軍用地では共通する話だと思いましたので取り上げてみました。
那覇市内は土地返還前or直後のブルーマップでも探せばいいのかな?

トンネル

那覇市の都市計画図から上間集落と体育館の位置を書き込んで制作。「3・3・3(30M)」とあるのがトンネルと橋です。


http://www.okikosai.or.jp/20kouhou/simatatei/sima_08/sima08-05.pdf
下の図二つは上記pdfからスクリーンショットで作りました。
このpdfはトンネルの工法や橋梁の組み立てなども説明されていて興味深いです。また周辺の土質や石灰岩の存在についても書かれています。

トンネルの図です(彩色しました)。

そして橋です(少し加工しました)。
上間から真地にいこうとすると、トンネルの左側入り口が上間で、トンネルを抜けて橋を渡り暫く行くと真地になります。
青い矢印で示した部分は水だと思われます。真地の水路で書いた流れの最上流付近ではないかと(水は枯れてるようですが)。

現代のハルナー(原名)

ギリチ原で原名(はるなー)のことに少し言及したのですが現代でもハルナーが使われている業界がありました。

那覇市土地ドットコム[土地購入情報サイト 土地価格相場ランキング]
http://www.tochi-d.com/nahashi/


確かに○○何丁目どこどこ付近というよりは□□原といったほうがわかりやすいっちゃわかりやすいですね(わかる人が読めば)。
以下はるなーが使われているところを引用します。

>沖縄県那覇市字安里羽佐間原
>沖縄県那覇市字寄宮 洗田原
>沖縄県那覇市字仲井真仲井真原
>沖縄県那覇市字田原 不知嶺原
沖縄県那覇市字天久 潮満原
>沖縄県那覇市字田原 不知嶺原
>沖縄県那覇市字仲井真 上田原
>沖縄県那覇市字識名 大名原
>沖縄県那覇市字小禄 泉原


下線を引いた沖縄県那覇市字天久潮満原は過去の海岸線の図に書かれていました。上の図は少し範囲を絞って書き直したものですが、図の左上の四角で囲った部分が潮満原です。
しかし意外なとこで生き残ってるもんですねぇ。あとはバス停名とかビル名で生き残ってるとこもありそうです。

参考:原(ハル) 毛(モウ) トー

県有地の拝所壊す

県有地の拝所壊す 那覇市久米で借地男性「生活に影響」
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-09-26_10550/
那覇市久米で、約400年前に起源を持つと伝わる拝所が取り壊された。拝所があったのは県有地(約400平方メートル)で、今年、新たに借地人となった男性(61)が運用に支障が出るとして重機で取り壊した。
(略)
近くの丘陵地帯にあったが、戦災で焼失。変遷を経て、約30年前、県有地に移ったと伝わっている。
(略)
一時は裁判所に調停申し立ても考えたが、長引けばアパート経営に支障が出ると判断。拝所の上屋を取り壊し、神体の石と香炉の一部を敷地の裏手に移した。残りは産業廃棄物として捨てた。


400年前から現地にあったわけではなく、戦災で消失後変遷を重ねて現在地に80年代に作られた拝所です。当然拝所自体には建築的価値はないでしょうし、戦後うろうろ変遷を重ねた拝所を動かしてなにが悪いんだと言われたらわからんこともないですね...
少々強引ですが...
まぁ神体と香炉はさすがに捨てられなかったようですから敷地内の邪魔にならない場所で作り直して一件落着でしょうか。

ブログ内記事の那覇市有地/輸出品目(55年)で1955年の那覇市勢要覧から那覇市の市有地の使用状況を見てみると拝所は2万坪あります。
当然2万坪いっぱいに拝所が建ってるわけではなく敷地内に小さな拝所と雑木林があるくらいの利用状況でしょう。後年になれば使ってない部分をなにかのかたちで利用することはありえます。那覇市市有地でも県有地でも状況は変わらんでしょう。
拝所は行政によって建てられてるわけではなく自治会やなんかの設営管理になってると思われます。なので普通に私有財産の損壊だよな... やっぱり借り主が悪いな、これは...

久米ということですがやっぱり久米人(クニンダ)が世話してたんですかね?
久米や久茂地ではビル名とかで久米人の持ち物なんだなとわかるビルがいくつかありますが現在の居住状況まではさっぱりわかりません。

墓地制限

7/18日付け琉球新報から。

16市町村墓地制限へ “乱立”規制の動き拡大

家族墓や門中墓など独特の葬送文化を持つ沖縄では特例的に個人墓地が認められてきた。
県内の許可墓地8540件のうち8430件(98%)を個人墓地が占める(2010年3月末現在)。
この結果、個人墓地が無秩序に散在し、継承者不在や無縁化の墓地、墓が増加。墓地計画を策定した市町村の計画書では区画整理や道路整備など土地利用計画が遅れたと指摘されている。


98パーセントが個人墓地ですか。
良く知らないのでアレなんですがこれは件数なのか面積なのかというとこで実態がよくわからない感じがします。たとえば墓苑のような大規模墓地が一件で個人の門中墓も一件だとすると面積では比べ物になりません。
しかし市街地開発で喉元のトゲのように一件だけ残った無縁墓というのは開発の障害にはなりますね...
墓地地帯の再開発だと緑が丘公園一帯では周囲が公園になった中にドデーンと墓がありました。墓が連なった眺めというのも私にとっては故郷の風景なのですが土地の価値が一変してしまった現代では許されないもんなんでしょうか。

墓地の移動は過去に那覇市では辻のサンモウジ(三文殊)周辺の辻原墓地を識名霊園に移動させていますしここ最近に始まった動きではありません。現代でも那覇新都心の外れに返還後新設された墓があったりします。
墓地や霊園が近隣に作られることを喜ばない住民もいますし行政の開発計画と規制が必要になってきたのは間違いありません。
古墓群
那覇市民俗地図から墓の記号がついている場所を赤点でマッピング、水色でぬられた場所は大規模な古墓群です。
牧志の古墓群はナイクブ古墓群で現在開発が進んでいます。
大和墓は那覇高校後方ですが現在は失われています。
トゥングヮーマーチュー、フチサも周辺は住宅地で墓は散見されるような形になっています。
 ※トゥングヮーは殿小(トゥン-グヮー)?
 ※フチサは地形に因する名前だったように記憶しているが忘れてしまった。
追記済み
現希望ヶ丘公園は民俗地図には門中墓地と書かれている。

図示したのはこれだけですが、実際にはナイクブ古墓群からは旧山形屋の向かいあたりの坂を下ってずっと墓地が続いていますし小規模の墓地(古墓かどうかを問わず)はあちこちにあります。
墓地になっているということは耕作不能かつ居住不適格で集落からそんなに遠くない場所という条件を示しています。古い形式の掘り込み墓などでは設置に向いた土地であったというのも条件に加わるかもしれません。
近世、現代と墓地に求められる条件は変わってゆきますが現代においては住宅事情が一番優先されるというのも時代だよなぁと思います。

鉄道計画

前回の鉄道地図を掲載したと思ったら新聞紙上にて鉄道計画図が出た。

鉄道、総事業費8600億円 導入可能性、県が報告書 - 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-164270-storytopic-3.html

那覇市内は地下で郊外からは高架や盛り土をして作る計画のようです。
ただし採算にのるのは那覇-コザ間のみで延伸すると赤字になってしまうようです。南部郊外は新興住宅街や開発も盛んですがそれでも厳しいんでしょうか。

ともあれ鉄道は欲しいところです。

× CLOSE

ブログ内検索

アクセス解析

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

最新コメント

[08/08 なちょうらーざ]
[07/19 shimoji]
[07/19 shimoji]
[03/21 2階の店舗の娘]
[03/05 福島敏彦]

× CLOSE

Copyright © グダグダ(β) : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]