那覇と豊見城が境界線設定でもめています。
画像は「広報なは」のpdfから切り出しました。

経緯をまとめてみるとこんな感じです。
(1)国土地理院が昭和48年に境界線の位置確認依頼を出す
※那覇市は戦前の専用漁業権に基づいた位置との認識
※豊見城は昭和48年の国土地理院での境界線が境界線であるとの認識
(2)国土地理院の境界線は瀬長島の帰属を示したものであるということが判明
(3)平成13年に18世紀作成の「琉球国惣絵図」が米国で発見され、海上境界線「海方切」が那覇市の主張と同じものであることが判明する
(4)現在豊見城は陸地間の中間が境界線であると主張
※広報なはの要約ですもめ事の再燃は滑走路の増設とそれにともなう交付金の発生が原因のようです。
資料が出て来てややこしくなってきたんでしょうね。

「広報なは」は那覇市のサイトからダウンロードできます(該当の記事は2011年の3月号)。
図の出典元は
こちらで説明しました。
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