新都心再開発が決まってから銘苅古墓群が出土したことで都市計画は変更がなされました。
地主たちは再開発のために換地などにも応じていたせいもあり、古墓が保存されると商業・住宅以外になることに抵抗があったようです。そしてとどめに「死者の谷」という報道に不愉快感を抱かされました。
---以下放言として。---
「死者の谷」はエジプトの死者の谷をイメージしたのでしょうし、死者の谷というのは悪い言葉ではないと個人的には思っています。玉陵だって中に眠っているのは「死者」ですからね。
感じるのは言い訳臭さです。土地利用で最大限の利益を得たいというのは当然としても、死者の谷云々はそのための言葉尻のあげつらいあいでしかないような印象を受けます。その主な理由は死者の谷という言葉が風評で土地の価値をさげるのではないかといった趣旨の地主の発言です。
ですが結局のところ「墓」にたいする複雑な感情が古墓群を保存させたというのは皮肉なもんです。
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ともかく記載されている記述を引用します。
「私たち地主の意志を無視して、個人の所有財産を勝手に『死者の谷』などと称するなどはもってのほかであり、そのことによって新都心のイメージを大きく失墜させたばかりでなく、那覇新都心の開発整備事業を阻害し地権者の利益を損なうものであり、このことは決して許されるものではなく、その責任を強く問うものであります」
那覇新都心物語 p62地主会の同意があれば古墓群を「記録保存ではなく現地保存」したいとする那覇市に対し、「記録保存にとどめ、埋め立てる」ことを主張する地主会との間で意見が対立していた。「古墓群問題は、まさに降って湧いたようなような問題だった」と与儀幹事は話す。「これから事業をすすめてゆこうという時に冷や水を浴びせられたようだった。私としても本音の部分では埋める方がいいと思っていたが、建築家としての部分では残すべきという思いもあり、悩んでいた」。
あるとき与儀幹事は銘苅の長老に呼ばれた。
「○○、ヘーク埋ミレー(早く埋めなさい)」
「しかし、ウンジュナー(あなた)の土地として墓の部分が換地されたらどうしますか?墓にパイルを打って家を建てますか?」
「ナラン(だめだ)。それならあんたの思うようにしなさい」
このようなやり取りを経て、与儀幹事は「墓を残そう」と腹を決めた。
那覇新都心物語 p63(一部編集)まぁ読んでるとうんざりしますがともかく残ってよかったです。現在の銘苅新庁舎の裏はきれいに保存されていて好感が持てます(少々さっぱりしすぎな感じがしますが)。
牧志の緑が丘公園も古墓地帯ですが開発されたあとにはあの「空気感」が消え去ってしまいました。自分にとってはパラダイス通りのマンション裏にある墓のありようが本来の墓があった空気です。
自分にいわせれば現在の新都心一帯は歴史のない土地、あるいは歴史の痕跡が希薄な土地といったとこです。
【追記】那覇市教育委員会により那覇市文化財調査報告書第72集として「銘苅古墓群 -重要遺跡確認調査報告書-」が作られています。写真や図表も豊富でさまざまな角度から書かれた面白いものです。
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