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大地主岸本(若狭)

若狭の岸本で広告があったのを引用します。

♦住宅貸地♦
場所 若狭町眞喜屋医院裏と岸本宅の裏
土地 総坪三千余坪を四五十坪位より分割御貸します
交通 西武門電車停留場近くに新道路開設
特色 土地は閑静高燥にして眺望よく住宅に好適地
ご希望の方はご面談をお願ひ致します
若狭町 岸本
沖縄タイムス 1923(大正12)年11月15日 (一部編集)


岸本さんは三千坪余りを所有してたんですね。若狭町の職人たちはだいたいが貸家暮らしだったと書かれてありますがそれも納得です。
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崎浜秀主

沖縄県人事録(昭和12)から崎浜秀主さんです。

崎浜秀主
那覇市立商業学校長
那覇市上蔵町2ノ34
君は那覇の人、明治9年を以て上之蔵に生る。明治33年沖縄県立中学校を卒業して早稲田大学に学び、明治37年同大学文学科を卒業するや、直ちに迎え入れられて日比谷中学校及び海城学校の講師となりしが、同年9月辞して帰郷し、翌10月より45年1月までを沖縄県師範学校教諭兼県立高等女学校教諭として敏腕をふるい、同45年より大正14年までを那覇商業銀行専務取締役となり、翌15年6月再び教育界に返り咲き那覇市立商業学校長に補せられて今日に至る。此間大正2年に那覇市会議員に推され、同5年より15年まで沖電社監査役取締役たり、大正10年県会議員に当選、翌11年県参事会員に推さる。高等官4等正6位、天資謹直にして温厚、高風親しむべき人格者なり。


非の打ち所がない大物ですねぇ(笑)。
辻の家主では大正2年に辻に貸家を4軒所有していることになっています。とはいっても貸家業は女性陣が行っていたのかもしれません。
戦後は教育方面ではなく銀行畑を歩んだようです。

1876(明治9)年〜1962(昭和37)年 教育者、銀行家。那覇生まれ。早稲田大学卒。県人初の沖縄県師範学校教諭。のち市立那覇商業学校校長。戦後は沖縄中央銀行頭取、農林漁業中央金庫理事長を歴任。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-41473-storytopic-121.html

ナーファチー(那覇地)

面白い記述がありましたので引用したいと思います。

字鏡水は、小禄台地の北部・東支那海に面する海岸低地に位置している。北端は先(崎)原崎と呼ばれた地で、小禄間切の安次嶺村・儀間村の一部であった。明治36年土地整理の結果、安次嶺村の内鏡水原・伊保原・前原儀開村の内蚊阪・名産原・下田原・箕隈原・土砂場原・水溜屋原・崎原当を割いて新たに「鏡水村」を置き、同41年町村制施行の結果、小禄村字鏡水と称されたのである(南島風土記)

地内にはナーファチー(那覇地)と称された那覇の地主の土地が多く、堂の前の岸本地、比屋定の岸本地、湧田の大湾地、ウヤマ地、テーラ地などもそうであった。明治末期から大正初期に、小作購入のための助け模合が年一回一口20円で行われ、大正初期には比屋走の岸本地、湧田の大湾地、昭和初期には堂の前の岸本地を買収した。
小禄 -OROKU- うるく

http://takara.ne.jp/oroku/kaganji.html (省略と編集)


このブログでは堂の前(堂前)の岸本という名前が出て来たことがあります。
グダグダ 那覇への奉公
グダグダ 那覇の私娼
堂の前
図は「わかさ民俗地図」を参考にしました。
堂の前というのは若狭大通りに地蔵堂があったことからくる地名です。キシモトヌスージに入る傍には「岸本幸男(写真屋)」という名前がありますがこの人がいわゆる“金満家の岸本”であるのかどうかハッキリしなかったため図には書いてありません。

堂の前岸本屋敷といえば裁判所の西隣、金満家岸本の所有屋敷である。その屋敷にはアンマーがいて遊郭に派遣している。
大正元年12月1日 沖縄毎日
沖縄の遊郭 -新聞資料集成- p591 (省略と編集)


新聞記事で名前をあげられた岸本屋敷は裁判所隣の貸家()のことなのでしょう。
辻の家主で引用した新聞記事には一軒所有者の名前もあり「若狭町・岸本オミト」の名が見えますがこの名が堂前岸本なのかもハッキリしません。

最初に戻るのですが鏡水(カガンジ)は現在の空港や基地あたりで、先原崎燈台が戦前は有名でした。また戦前は砂地を活かした鏡水大根(鏡水大根 - Google 検索)がありましたが最近また生産されているようです。
宮城真治さんの「沖縄地名考」からカガンジの項を引用します。

鏡水はカガンジと読み、小禄村の字名であって鏡水大根をもって知られたる砂質の土地である。
国頭村字辺土名の小字に鏡水がある。そこもまた砂地である。その他にも小字名にカガンジという所がいくらもあるが、砂地であることはこれも同一である。 カガンジは、山原では多くハガンヂといい、それが原音に近いものであろう。
ハガンヂはハガーヂ即ち剥げ地の義で、不毛なる砂原を意味したと思われ、内容において兼久や与那と相通ずるものである。
グダグダ 鏡水


兼久は前島、兼久浜は波之上と古波蔵、与那がつく地名は県内にいくつもありますね。
まとまりも結論もないのですがこんなところで。

名護宿

大正11年の新聞広告から。

下宿大勉強
空座敷三間アリ
市内通堂町一丁目十七番地
名護宿比嘉カメ
大正11年2月9日 沖縄タイムス


短い広告ですがいろいろ想像できますね。
宿小(ヤールグヮー)が下宿を募集しているのでしょうか。

波上軒

大正の新聞記事から。

氷物色々
急告
一 洋品一切
一 サンドウヰチ
一 アイスクリーム
一 パンコーヒー
一 和洋酒色々
一 ビールサイダー
大勉強
波上軒
大正10年6月18日 沖縄タイムス


縦書きを横にしてるので妙な感じですがご勘弁を。
まず氷物があり、そのほか酒類と軽食があるパーラーのような店でしょうか。住所は書かれてないのでわかりませんが波之上の近くにあったのでしょう。

大正の時点で氷が入手可能だったのがわかります。漁業に必要ということで製氷は開始されたのですが一般庶民間での利用がどのように開始されたのかは調べられていません。しかし市場の魚売りが氷を使っていた記録やこのような広告を見ると民間にも出回っていたのだろうなと思われます。

戦前那覇にも氷屋はいくつかあるようですが、実際に製氷を行っていたのか、それとも垣花の製氷工場のようなところから購入して小売りしていたのかは今のところわかりません。

氷冷蔵庫

現在の冷蔵庫の前に氷の塊をいれて冷やす氷冷蔵庫というのがありましたが、昭和3年の沖縄昭和新聞には氷冷蔵庫の広告があります。
その広告は「天妃町電車通り 岩田銅工場」となっています。氷冷蔵庫(以下冷蔵庫)に関してはイラストと大中小の説明があるのみでとくに書くことはないのですがいちおう戦前那覇にも冷蔵庫の販売があったということを記録しておきたいと思います。

その冷蔵庫の姿は検索して見てもらいたいのですが(氷冷蔵庫 - Google 検索)、扉が二つあって上段に氷を入れて内側はブリキ張りになっています
銅工場なのでブリキの加工もお手の物だったのでしょうし、久米大通りは家具屋がたくさんありますのでそこに木材加工を任せたことも考えられます。

氷冷蔵庫は配達される氷を毎日入れるものだったようです。昭和の那覇には氷の製造工場がありますが庶民が毎日購入できたとは考えにくくあくまで一部の人間の物だったでしょう。
ですが氷が作れなければ冷蔵庫の存在すら無意味になってしまいますので、冷蔵庫の出現は氷の存在が普通のものになって来た証左ではないかなとも考えます。
まとまりませんがメモとして書いておきます。

比嘉賀重商店

昭和3年の沖縄昭和新聞に比嘉賀重商店の広告があります。

琉球名産はこれ
お土産によし 進物によし
拮餅 冬瓜 漬
多少に不拘御用命ください
石門大通り新天地角
拮餅 冬瓜 漬 製造元祖
比嘉賀重商店
昭和3年9月9日 沖縄昭和新聞


元の広告は縦書きでデザインが入ってるので文字にするとおかしくなりますがこう書かれていました。現在拮餅(きっぱん)と冬瓜漬をつくってるとこは謝花桔餅店だけのようですが戦前はいくつかあったようです。
場所は石門通りの辻側、新天地劇場の近くでしょうか。

追記しておくと拮餅と冬瓜漬は別の品物です。なので横書きに直すと妙な感じになってしまっています。広告を画像にするためのカメラやスキャナー持ってないのでめんどくさいことになってますがご了解いただきたい。

那覇港周辺

公文書館に1945.7.3撮影の那覇港周辺という動画があります。

那覇港周辺 - 映像を見る・映像が語る沖縄 - 沖縄県公文書館
http://www.archives.pref.okinawa.jp/films/2008/04/post-14.html


那覇港が移るのは1'17"あたりから。山下町から住吉町に向かって撮影しているようですが動画に説明はありません。

動画からスクリーンショットしました。
説明がないので想像になるのですが、左画像[2'52"]は屋良座森城と三重城、右画像[3'54"]はセリ市場の石油タンクではないでしょうか。
那覇港
那覇民俗地図では青に燈台(屋良座森城・三重城)、赤に石油タンクがあります。右は戦前の那覇港の写真です。手前に石油タンクがあるのがわかるでしょうか。

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