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松川のトゥン

真和志民俗地図には松川郵便局付近にトゥンとかかれた場所があります。
Google Map:松川郵便局

図に書き込んだ道()は真和志民俗地図に描かれているものでトゥンの傍を通る細い道は真和志明細地図(65年)に描かれてあるものです。この細い道は現在使うことが出来なくなっていてトゥンも跡形もありません。
ですが建物の敷地はこの道の形を残しています。

細い線で囲った箇所は真和志民俗地図で、地図の記号説明では丘陵(だいたい毛や森)となっています。図は地形を強調していて濃い色の部分は高台、このあたりは繁多川の高台の裾野付近になります。
真和志民俗地図ではこのあたりに集落の記号は無くその他の記号もない空白地帯なのですがなぜか祭祀に関係するトゥンの記号だけがぽつんとあります。

トゥンについてわかりやすい記述がありました。小禄のことが中心ですが参考になると思います。
小禄 -OROKU- うるく トゥヌ(殿/トゥン)
http://takara.ne.jp/oroku/tunu.html
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那覇人気質 3

那覇市史より那覇の気質について抜粋します。確認すると嘱託で島袋全幸さんのお名前もありますのでこの項目は島袋さんが関わられたのかもしれません。

首里を京都とすれば那覇は大阪で、「首里人は着倒れ、那覇人は食い倒れ、泊人は働き倒れ※」といわれた。首里は外面を重んじたのに対し、那覇人は食道楽が多かったのである。
※シュインチョー チードーリ、ナーファンチョー クェードーリ、トゥマインチョー シードーリ

「首里人のハブ食い(スヤー ハブクェー)」は首里人が外面は派手でも内実は火の車であったので、その粗食を笑った物である。「那覇人の債持っての犬食いハブ食い※」は那覇人が借金してまでいか物食いしたことを笑ったものである。
※ナーファー シーロー インクェー ハブクェー

ものを手に入れた際に、那覇人は「これを○○円で買った」と物そのものより出した金額を自慢するが、首里人は「これを○○円にまけさせて買った」と価値ある物を安く手に入れたことを自慢する。それで「首里人は貧乏臭し、那覇人は金銭臭する※」といわれるわけである。しかしこの言葉は最もは的に首里人と那覇人の気質を表している。
※シュインチョー フィンスーカザッシ ナーファンチョー ジンカザスン

首里人は官禄生活で収入が決まっているので、その範囲内でのやりくり生活であったが、那覇人は存分次第(ジンブンシデー)で収入が増やせるのですべて派手であった。
那覇市史資料編第2巻中の7 p746


商売人と勤め人、下町と城下町の違いですね(笑)。

平和館近辺

西町にあった平和館です。
平和館
平和館そのものについては今回は触れませんが、島袋全幸さんの「昔の那覇と私」からその場所について描いてある箇所を引用します。

ランプの時代(大正の初年頃)であるからまだ平和館はなかった。あそこは渡久地という旧家の屋敷跡である。
昔の那覇と私 p86

この場所(※平和館)は商店の軒並につらなる人通りの多い石門通りにほどちかく、また上之蔵通りから真教寺方面に通ずるカーブをなした場所に理髪館や飲食店、それに簡易宿の多い至近距離にあって立地条件もよかった。
那覇市史資料編第2巻中の7 p786


電気会社設立以前の風景ですね。平和館は大正8年寄留商人(尾花・立住)によって作られています。
明治41年生まれの島袋さんは西町育ちで生家の近くの風景にあった料亭を記憶しています。

那覇の西町にあとで活動写真の平和館が建った次の通りに玉川屋という大和料理屋があったが(略)
昔の那覇と私 p86

那覇人気質 2

那覇人の口の悪さは那覇人同士でもかわりません。
島袋全幸さんの「昔の那覇と私」から那覇内での各地域の呼称です。

東ボンボロー、西ハーガー、久米村(クニンダ)ビタタイ、湧田サバカチ、久茂地ヌヰー、若狭町サラグヮー、壺川ホーホー、泊マースー、垣花ヒヨー。
東ボンボローのボンボローはでんでん太鼓のこと。東道には士族くずれ牛皮細工がいて、太鼓などを張っていたからであるが、また東ン人は、シラークサー口なて(前後左右口になって=よく喋る意)ボンナイボンナイしたからでもあろう。
西ハーガーはよくわからない。(略)
久米村ビタタイは、中国渡来の衣服をビラビラと着ていた感じがでているが、唐栄の男子はみんな王朝から俸禄をいただき、パリパリ働かなくても生活ができたからでもある。
湧田には、富裕な旧家が屋根門、石垣を構えたのが多く「橋内」と誇っていたのに、それには目もくれず、湧田の先(地蔵堂の上方)に居たという、しがないサバ(草履)づくりで代表させたのが皮肉だ。
久茂地には関帝王などの軸物の絵をかいて生計をたてているのがいた。本格的な掛け絵ではなく田舎向けの安直な色彩画だった。
若狭町は挽物細工の本場で、お椀や皿小や、また木アシジャ(足駄)を作った。だから「若狭町木アシジャー」とも言った。塗り物も盛んだった。
壷川ホーホーと言うのは、南島風土記に「壺川の住民小舟を並べて唐三良(トーサンラー)辺に屯し、水道を遮って船を横たえ、上げ潮に乗って応々のかけ声勇ましく水面を叩きながら船を推して行くに、銀鱗刺々声に応じて船中に躍込む、これを壺川ホウホウと唱えたり」とある。
泊は潟原塩田を前にし、前島当たりには塩焚きの煙がほそぼそと立ちのぼっていた。
垣花は那覇港の対岸で、通堂の仲仕は垣花二才(ニーセー)たちの専売であったから「日用夫」と言ったのである。
昔の那覇と私 p52、53


方言の言語感覚というか語感でことばを重ねてゆくのが結構あります(畳語)。「アマハイ クマハイ」だとか「アリン クリン」だとか「ゴーグチ ヒャーグチ」だとかそういうものです。
しかし「ボンナイ ボンナイ」はどう説明していいかわかりません...

那覇人気質

ひきつづき島袋全幸さんの「昔の那覇と私」から那覇人が他シマをどういうふうに表現していたかという部分です。

那覇を中華だとする思想は幼少の頃からしたたか叩き込まれている。わたくしたちからは、地方人はすべて田舎者(イナカー)で、国頭人は山原(ヤンバラー)、中頭鼠(ウェンチュ)は面曲り(チラタマヤー)、島尻鼠や尻尾なし(ジュームッカー)であった。親国(ウェークニ)と自慢する首里人でさえも、首里ダラーであり、首里ハブ食い(スエーハブクエー)であった。ハブ食いと言ったのは、いくら偉ぶったところで経済的には窮迫して、ハブでも取って食うほかあるまいとする侮りである。
なにも他地方の悪口をたたかなくてもよさそうなものだが、そこが那覇人の肋骨不足(ソーキブニブスク)たるゆえんで、他をくさして痛快がるのである。
首里人が腹の中では舌を出しても、柔和(ヤフワッテーン)して弁巧(ビンクウ)であり、”謀を帷幄の中にめぐらして勝を千里の外に決する”ような深慮遠謀あるに反し、直情短慮で妄動するソーソーバーバーのワッサラゲーであった。
昔の那覇と私 p47


同じ本の中に首里人の笑い話があります。

那覇東京見物かたがた遊学している息子の許へはるばると大人(ターレン)が上ってきた。折しもその下宿に知人が訪ねてきたので、息子、
「イナカから来た親父です」
と紹介した。すると大人は、おもむろにエッヘンとせき払いをしてから息子の袖を引いて言うよう、
「わんねーイナカからやあらん、首里親国からど来(チ)ゃしが!」
昔の那覇と私 p149


首里を小馬鹿にする那覇人の姿がみえるようです。

あだな

島袋全幸さんの「昔の那覇と私」からあだなについての部分を抜粋します。
島袋さんは明治41(1908)年那覇市生まれで垣花育ち、教育関係の仕事をされて、那覇市史編集にも関わられています。島袋全発さんはお兄様です。

イーブーとかトントンミー(いずれもとびはぜのこと)とかいうのは尻軽に飛んで歩く類似から。
チークェーブーナー(ふぐ)は腹がぶざまにふくれている形からばかりではなく、釣り仲間からきらわれている情調がある。
ガサミは一度つかんだら決して放さぬ習性からけちんぼう。
アバサー(おこぜの類)は形が醜悪で毒線のとげをもってあばれるから料亭女のようにおしゃべりなはねっかえり。
ワクビチ(がま蛙)、アタビー(雨蛙)、アンムラサー(ナメクジ)などはどれも形態とそのぬらぬらした感じから。
アーマン(やどかり)はのっそりのっそり歩く人。
イサトウメー(かまきり)はひょろながい身体に似合わず蟷螂の斧をふりあげたりするもの。
アッチャウヮー(種豚)とかヒージャー(山羊)は顔貌や特性の類似からのあだ名だがいかにも土着臭が強い。
昔の那覇と私 p166


アバサーはハリセンボンの意味でつかっていますがオコゼもそう呼ぶのでしょうか。

那覇の低地

那覇周辺の浸水予想図です。


お気をつけ下さい。

浦添の地形

浦添の地形です。
浦添の地形

南はほとんど安謝川が境界線になっています。

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