西町にあった平和館です。

平和館そのものについては今回は触れませんが、島袋全幸さんの「昔の那覇と私」からその場所について描いてある箇所を引用します。
ランプの時代(大正の初年頃)であるからまだ平和館はなかった。あそこは渡久地という旧家の屋敷跡である。
昔の那覇と私 p86この場所(※平和館)は商店の軒並につらなる人通りの多い石門通りにほどちかく、また上之蔵通りから真教寺方面に通ずるカーブをなした場所に理髪館や飲食店、それに簡易宿の多い至近距離にあって立地条件もよかった。
那覇市史資料編第2巻中の7 p786電気会社設立以前の風景ですね。平和館は大正8年寄留商人(尾花・立住)によって作られています。
明治41年生まれの島袋さんは西町育ちで生家の近くの風景にあった料亭を記憶しています。
那覇の西町にあとで活動写真の平和館が建った次の通りに玉川屋という大和料理屋があったが(略)
昔の那覇と私 p86PR