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真和志間切針図

安里進さんの連載が掲載されたpdfから切り出します。
左が「真和志間切針図」、右は「琉球国惣絵図」に重ねたもの。

琉球王国の測量技術と技師たち『しまたてぃ』
http://okinawa-chousasikai.com/sima.pdf


真和志間切針図を北が上になるように回転させたもの(左)、現在の地図に針図で確認できる箇所を書入れたもの(右)。
繁多川の馬場、各部落、国場川、真珠道などが見えます。

針図の鮮明なものは「首里城研究」や「繁多川100周年記念誌 繁多川」に掲載されていたかと思います。
正確なもんですよねぇ...
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真和志村北部

アジア歴史資料センターの「第2253号の2 12.4.28 公有水面埋立に関する件」にある地図から真和志村北部〜浦添を切り出しました。
ここでの図は那覇地図(昭和初期?)での図より画質が悪いのですが広範囲になっています。

第2253号の2 12.4.28 公有水面埋立に関する件
【 階層 】防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>⑩公文備考等>公文備考>昭和>昭和12年>公文備考 昭和12年 J 警戒計画 巻10
【 レファレンスコード 】C05111092500【 画像数 】12


那覇地図(昭和初期?)の図は安謝で切れてしまっています。


安謝の対岸(勢理客)が造成されて水田になったのは昭和11年以降のことのようです。
参考:グダグダ(β) 勢理客の水田
参考:グダグダ(β) 安謝とシュガーヒル (米軍空撮の浦添から那覇を望む写真)

住吉(戦前)

アジア歴史資料センターの「第2253号の2 12.4.28 公有水面埋立に関する件」から住吉〜西新町一帯の地図です。6分割された那覇の地図の隅に「那覇内港 1/5000」としてある部分のみ切り出しました。

第2253号の2 12.4.28 公有水面埋立に関する件
【 階層 】防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>⑩公文備考等>公文備考>昭和>昭和12年>公文備考 昭和12年 J 警戒計画 巻10
【 レファレンスコード 】C05111092500【 画像数 】12


良く見ると風月楼の様子がわかります。

那覇地図(昭和初期?)

アジア歴史資料センターの「第4357号 11.9.11 公有水面埋立の件」(昭和11年9月16日)の図から切り出して下左図を作成しました(1157×1016 220kb)。
下右図は昭和初期の地図ですがほぼ同時期くらいと思われます(新県道未開通、旭町埋立済など)。

【 階層 】防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>⑩公文備考等>公文備考>昭和>昭和11年>公文備考 昭和11年 J 警戒計画 卷11
【 レファレンスコード 】C05035219900【 画像数 】5


美栄橋あたりの地形や那覇高校前の道と地形の関係等をうかがうことができます。

奥武山(明治35年)

下左図はアジア歴史資料センターの公有水面使用申請の図(分割)から合成して作成しました。下右図は回転と文字を付け加えたもの。

35年12月24日 公有水面使用の件
【 階層 】防衛省防衛研究所>海軍省公文備考類>⑩公文備考等>公文雑輯>明治35年>明治35年 公文雑輯 巻24 土木5
【 レファレンスコード 】C10127796300【 年代域 】明治32年~明治35年【 画像数 】25


久米在住の川口鉾○さんが貝を養殖するつもり?だったようです(p4)。

沖縄県管内全図(明治39)

明治39年の地図で、後年の天妃町が久米、上之蔵が字東だったころのものです。

沖縄県管内全図/沖縄県 著/金港堂書籍/明治39(1906)年
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1089186


上の沖縄県管内全図ではありませんが「新聞資料による旧慣制度撤廃後那覇の地図作成」の図の字境界を強調したもの。下左図が「沖縄県管内全図」と同じ那覇区時代、下右図は那覇市になってからの地図(昭和4年)での境界線を書入れたものです。
参考になれば。


一応これで明治・大正・昭和の各期の地図がオンライン上で参照できるということですね。
グダグダ(β) 那覇区全図(大4) (大正4年/1915年)
グダグダ(β) 那覇地図 (昭和初期/1930年)

近代デジタルライブラリーは転載を届け出制としているようです。なんですが「収録資料の著作権は、各資料の著作権者に帰属しています」とも書いてあり、ライブラリーの資料は基本的に著作権切れとなっています。

西新町の店舗名

西新町の丁目は図の下側から1、2、3丁目となっています。
左は県立図書館の那覇区全図(大4)から切り出して画像加工、右は米軍撮影の写真。


沖縄タイムス掲載の「思い出のわが町」の「戦前の西新町民俗地図」、想定年代は昭和4〜5年頃のようです(参照:那覇の民俗編集ニュース)
1丁目と2丁目。

3丁目。

戦前の松川

沖縄タイムス掲載の「思い出のわが町」から「戦前の字松川民俗地図」。

よくわからない箇所もあり正確なものではありませんのでご注意。

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