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戦前の神里原

右は壺屋(1945)で取り上げた「那覇市壺屋地区における石敢當と集落形態」に掲載されている1945年の航空写真に加筆したもので、左図は右写真に書き込んだものをグーグルマップに書き込んだもの。
青ポインタは製糸工場(現壷屋小学校)、黄ポインタは今もある下ヌカー、黒斜線は畑。加工前の写真はこれ

左図での赤ポインタは公設市場でその周囲はイー田です(参照:那覇市旧跡・歴史的地名地図)。イー(いぐさ)は湿地の植物ですからこのへんは湿地ということになります。

地形的には壷屋から牧志に続く丘陵で、丘陵の裾野はガーブ川(南)・安里川(北)の低地に向けて緩やかに下っています。
戦前の旧那覇は壺屋まででしたのでだいたい緑で書いた線から向こう側が真和志村の与儀です。ですので戦後の神里原は真和志村ということになります。
以前取り上げた写真を二つ。
那覇(1945.12)
戦前相当の真和志民俗地図にも浮島通りの国際通り〜丸国マーケット前までの区間はあり、この二つの写真にも写っています。真和志民俗地図では浮島通り周辺には何も無く、写真でも壺屋に集落らしきものは確認できますがそこから先には何も見えません。
神里原は畑だったというのはよく言われることですが再確認してみました。オチはありません。

参考:グダグダ(β) 上陸前・後の那覇 (最下部右写真の掲載サイト案内)
参考:グダグダ(β) 樋川原・神里原
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神里原通り風景

まちのたね通信に神里原大通りの写真があります。

那覇まちのたね通信 | 那覇(平和通り)/神里原大通り(1951)
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1726


写真右上のクローズアップ(下左)それぞれ「やまが○○○」と「屋たが」と読めないこともありません。左下の看板(下右)は「みよし食(堂)」と「セントラ」と読めます。


場所に関しては沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の図(link)より51年版のほうがわかりやすかったのでこちらを基に撮影位置検証。左が51年版の第十七図表、右がその範囲を書き入れたもの。


神里湯前の道と神里原大通りの交差点付近から大洋劇場向けの撮影だと思われます。
元写真右側の看板に関してはわかりませんが奥の建物は大洋劇場か丸金デパート(三階建て)か?

一ツ松尾・二ツ松尾


図中の左は「那覇市旧跡・歴史的地名地図」を基にしたもの、右は那覇民俗地図を参考にして作ったものです。
※「那覇市旧跡・歴史的地名地図」は「ジャーグヮー墓地」となっています。

この図は旧那覇の歴史・民俗地図での画像をトレースして、門中墓地(A)、二ツ松尾(B)、一ツ松尾(C)を書入れたもの。

この写真は壺屋(1945)で取り上げた「那覇市壺屋地区における石敢當と集落形態」に掲載されている1945年の写真をもとに、ひめゆり通りからグランドオリオン前を経由して国際通りに至る道と国際通り(当時新県道)と上の図で取り上げた箇所をポインタで示したものです。戦前の希望ヶ丘一帯がどうなっていたのかはいまのところわかりませんが写真では民家等はないように見えます。地形的な制限(崖)や墓地の存在などから想像すれば寂しい場所だったんではないでしょうか。
牧志生まれの高良嘉永さんの自伝から引用します。

小禄から牧志に移住して来たのは、根屋(ニーヤ)の越来の高良、神歌(ウムイ)の嘉数、大根(ウーニ)の嘉数、山当(ヤマタイ)の比嘉、東水張(アガリミジハイ)の高良、八幡の高良の6門中である。
我家の大元屋(ウフムートゥヤー)はウーニの嘉数で、現在高校教諭のKSが当主を務める。中元家(ナカムートゥヤー)は、目下TSで、中元家から分かれて私は6代目にあたる。
p2
戦前まで高良家祖先累代の墓は、牧志町1丁目135番の当時俗称ジョー小墓地(現希望ヶ丘公園)にあった。小高い丘に4、50基の墓があり、老松が点在していた。高良家の墓地は112坪で、墓の入口近くの両横に幹周りが4メートルも在る老松が高くそびえていた。
先祖に恥じない自慢の墓であったが、昭和19年11月下旬、皇軍が無断で、我が家の墓から厨子甕を取り出し、墓庭の澄みに片付けてあることを聞かされた。早速皇軍にかけ合ったところ、対戦車砲を入れるのに良い陣地だと言われた。当時、皇軍は敵上陸に備えて陣地構築に懸命であり、一帯は陣地として使用され、墓と墓とは横穴式に通路をつけ、墓から竪穴を掘って2、300人は収容できる防空避難壕に通じていた。
p106,107
高良嘉永人生記 働きざかり・花ざかり (抜粋と編集)


希望ヶ丘公園一帯のジョーグヮー墓地は牧志の門中墓地であったようです。

参考:グダグダ(β) 牧志のムートゥ(2)
参考:グダグダ(β) 牧志のムートゥ

神里原大通り(52年) 4

神里原大通り(52年) 3の続きで大洋劇場から330号線までの区間です。左図は沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第三十三図から、右図は左図の道などを現在の地図に書き入れたもの。
戦前の神里原は畑や湿地だったということですが、右上の赤い線で示した道のそばまでは家があったようです。

右図で黒い点をつけた箇所は、52年の図のうちゼンリン地図69年版でも確認できた店舗です。左図では小さく黒い印をつけてあります。右図で黒く囲った箇所は「大洋劇場」で、左図はここを少し過ぎた当たりにあった丸金デパートからが図の範囲になっています。

1は図の下方から(神里原から330号線に向けて)。
丸金デパート(a)、山川商店、島袋商店(*)、二見屋商店(*)、古波津商店。すこし奥に長崎屋、美松食堂、表通りに戻って新菊食堂、上海食堂、吉田薬局、すこし間があいてリリー美容室、喜納理髪館、南部タクシー、南部工務出張所、ニューライン、まぶに商店、沖縄印刷所(*)、はやり理髪館(*)
2も同方向に。
文教堂、照屋商店、辺戸名商店、東京屋、幸地薬店、花城商店、山形屋(角/b)。脇道を入って左手に大福亭、吉美旅館(*)。表通りに戻って丸真食堂、中屋貿易商事、大久保タタミ店(*)、食堂ほまれ(角)。脇道の奥には国吉ホテル(c)
表通りに戻って脇道角に比嘉木材店、ひふみ理髪館(d)、宵待旅館(330号角)

吉美旅館は山形屋の角を入って奥にあることになっているんですが、ゼンリン地図69年版ではそのあたりに「吉美」と書かれた箇所があります。ちなみに「吉美」の後方は「若松湯」となっています。

【注】図の下側部分の2神里原大通り(52年) 2での図の2に繋がっています。
沖縄主要地主要商工年鑑(52年)での図の関連性は左図。中央の図での最上部が右図の最下部に接続するようになっています。中央と右図は左図のようにもともと3つに分けられていた図の範囲を2つの図にしたものです。

だいたいの図は図の間に共通する店舗が入るようになっていて、図がどう関連しているのかわかるのですが、この2つの図の間には共通する店舗がありません(正確には丸金デパートだけ)。こまったことに丸金デパート向いの店舗がどうなっているのかも異なっています。
ですので少なくともこの図の丸金デパート周辺に関してはきっちり正確なものではないと思われます。

神里原大通り(52年) 3

神里原大通り(52年) 2の続きで周辺部です。


1の丸国マーケット横。
丸国側から銀座マート 金物部(角)、南星貿易商事会社、丸善商会、まんしう食堂、ちとき旅館、菓物市場、うさぎや
この通りは「○物市場通」と書かれています。不明文字は「果」か?
道路の向こう側のa白梅堂b比嘉金物店

c沖縄動物園d小松旅館e友鶴旅館
小さい数字の店舗名。○南産業(1)、食堂シスター(2)、食堂さかえ(3)、食堂いづもや(4)
左上の5軒並んだ店舗前の道は「食堂小路」、下から三角屋、だるま、みつわ、音丸、桃源、石川屋
三角屋の下には御宿浦島がありますが書いていません。三角屋角の道路はとりあえず書いてありますがよくわからないのです...

神里原大通り(52年) 2

神里原大通り(52年)の続きです。

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第三十一〜三十三図が神里原大通りになっています。右が3つの図をつなげたもので左は今回説明する丸国マーケットから大洋劇場の区間です。
縦に通っている道路が現実ではカーブしている神里原大通り、最下段の水平線が新栄通り、下から4番目の水平線がバス道路になります。
参考:グダグダ(β) バス道路[神里原] (52年) 2

グーグルマップ上に描いてみるたのが下左図。バス道路から大洋劇場近くまでの脇道はさっぱりわかりませんので描いてありません。
下右図は最初の図と同じもの。

1は丸国マーケット側から。
名称無し(角)、仲本旅館(角)、道をこえて喜屋武商店(角)、太陽堂、富原商店(角)、道をこえてマネキン美容院(角)、中央時計店、○儀商店(角)
バス道路をこえて知名商店(角)、宮良商店、信用堂、山州商会、照屋商店、糸満屋、ノーブル洋裁店、上江洲商店、上原商店、神里バザー、比嘉商店、七光貿易商事株式会社、照屋商店、東京茶房
道をこえて大衆食堂よろず(角)、ひかり食堂本店、田村金物百貨店、金城楽器店、玉 高等洋服店、テイラーまつ屋、高美商店、博賢書店、冨士美・美人閣入口、池原商店、古波津ふとん店(角)、道をこえて大衆食堂宮良(角)、琉球船用品会社直売店、沖縄文書合資会社、那覇時計舎、生盛堂時計店、喫茶店コロナ(角)

2も同じく丸国マーケット側から。
新栄通り沿いにポインタで示した丸国マーケットがあります。道をこえて銀座マートがありますがここは範囲が示されていません。その隣りが玉那覇商店
道をこえて金城商店(角)、竹田商店那覇支店、ローズ写真館、ローズ美容院(角)
バス道路をこえて中田商店(角)、バザールカデナ、大きい区画で小禄貿易商事株式会社。脇道をこえてみどり美粧院(角)、暁産業那覇支店、みつば商店、文林堂、大洋商事、川平商店、中村製靴店、国場組貿易部、大洋貿易商事(角)、道をこえて上原真得商店(角)、セントラル美粧院、みよし食堂、まるぎ金物店(角)、脇道をこえて瑞慶山商店、大きい区画で新田商店
道をこえて菊地商店(角)、○儀商店、理髪なにわ、石垣自転車商会分店、ロング理髪館、ストアータイラ、オリンピック(角)、道をこえて金銀小細工たつや、ナンバーワン写真館、友寄商店、地球堂時計店、仲井真商店、旭すし本店、ふたば屋、比嘉菓子店、赤嶺時計店

神里原大通り(52年)

戦後最初の繁華街であった神里原大通り(50年代初期)です。

通りの範囲は沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の第三十一〜三十三図を参考にしています。丸国マーケット()から大洋劇場前(ピンク)を通り330号線に至る区間です。
紫ポインタは開南会館、赤は農連市場です。

沖縄主要地主要商工年鑑は独特の省略のしかたがされていて読みにくいのですが神里原は特に読みにくいです。
上図は三十一図から三十三図の三つの図をつないで描いたものですが、最初の図でわかるようなカーブが一切ありません。これをどうやって解読するのかということになるんですが、図中に存在し後年の地図で位置が特定できる箇所(例:大洋劇場)や他の道との関連性を考えて推定します。故に推定が間違っていたら狂います。そのへんご了承頂きたく。
図は下側が丸国、上が330号になります。

最初の図で黒く描いた開南会館と農連の間の道は50年代にはありません。ゼンリン地図69年版でも未だ開通しておらず、予定地として白くなってます。
仮にこの道を開南農連バイパスと呼びます。

国土交通省の77年撮影の写真を自分が加工しました。
開南農連バイパスは開南会館(紫)から途中までは通っていますが、大洋劇場(ピンク)からは開通していません。最初に開南側から工事が行われたのがわかります。またゼンリン69年版では大洋劇場(与儀3-778)の敷地は四角いのですがバイパス工事の為に角が一つ削られています。この削られたであろう箇所をピンクの線で書入れました。
大洋劇場後方あたりが50年代当時どうなっていたのかがさっぱりわからないまま作業をします... 
58年の地図がありました

写真掲載元:http://w3land.mlit.go.jp/cgi-bin/WebGIS2/WC_AirPhoto.cgi?IT=p&DT=n&PFN=COK-77-1&PCN=C58&IDX=7&PNO=1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19

バス道路[神里原] (52年) 2

バス道路[神里原] (52年)の続きです。
左図は沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の第三十四図、右はそれを推定してグーグルマップ上に描き入れたものです(両方とも図の下が北)。この図はいろいろと不確かなところがありますので詳細は前回を見ていただきたい。


1は図の下から。
高目呉服店(角)、丸星商事合名会社、冨世商店、沖縄書籍、田原商店、ローズ美粧院・写真館(角)、道をこえて○儀商店(*1)、冨士屋、○儀商店(*2)、ラジオサイエンス社、那覇商事。離れた角に合同バス本社
2も下から。
糸満商会(呉服反物)、岩崎商会営業所、昭和バス、福地商店、渡嘉敷商店、道をこえて知名商店(角)、若松食堂(角)、道をこえて島袋金物店、南風原商店(e)、新里商店
3神里湯(図中の)から下に向って左手から中村食堂、京楽旅館、なかよし旅館、しろま旅館、よろず食堂、そこから大きな区画の王則○商店(f)、そこからバス道路向けに東洋グリル、コロンバン、三輸
続いて4
まずa那覇劇場、その向い(b)が白水食堂。3の区画のうちの那覇劇場側は上が美月旅館、下が前里商店。向い側は図の上から新田家具製作工場(角)、宮古農連
5はバス道路を図の上方向から下に。
あけぼの旅館(角)、比嘉時計店、栄商事、宮古水産、名称無し(角)、道をこえて青柳食堂。バス道路から入っていって左手のd美松製菓、続いて名称無し、新城安盛商店、美人閣。バス道路から入って右手のc古堅兄弟社、そして中村商事

*1と*2の不明文字(○で表記)は下図の一番右の文字です。
おそらく「与」の俗字か略字ではないかと思いますがよくわかりません。

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