右は
壺屋(1945)で取り上げた「那覇市壺屋地区における石敢當と集落形態」に掲載されている1945年の航空写真に加筆したもので、左図は右写真に書き込んだものをグーグルマップに書き込んだもの。
青ポインタは製糸工場(現壷屋小学校)、黄ポインタは今もある下ヌカー、黒斜線は畑。加工前の写真は
これ。


左図での赤ポインタは公設市場でその周囲は
イー田です(参照:那覇市旧跡・歴史的地名地図)。イー(いぐさ)は湿地の植物ですからこのへんは湿地ということになります。
地形的には壷屋から牧志に続く丘陵で、丘陵の裾野はガーブ川(南)・安里川(北)の低地に向けて緩やかに下っています。
戦前の旧那覇は壺屋まででしたのでだいたい緑で書いた線から向こう側が真和志村の与儀です。ですので戦後の神里原は真和志村ということになります。
以前取り上げた写真を二つ。


戦前相当の真和志民俗地図にも浮島通りの国際通り〜丸国マーケット前までの区間はあり、この二つの写真にも写っています。真和志民俗地図では浮島通り周辺には何も無く、写真でも壺屋に集落らしきものは確認できますがそこから先には何も見えません。
神里原は畑だったというのはよく言われることですが再確認してみました。オチはありません。
参考:
グダグダ(β) 上陸前・後の那覇 (最下部右写真の掲載サイト案内)
参考:
グダグダ(β) 樋川原・神里原