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百合に関する数字

「昭和沖縄園芸発展史」より表にある百合と花卉の数字を抜粋します。
生産株数を抜粋した表は「戦前(昭和元年〜15年)における園芸生産の推移(収穫量)」で表記は「花百合」、金額と数量を抜粋した表は「戦前における移出園芸の推移」で野菜・果実・花卉の区分になっています。

年次/生産株数(千株)|金額(円)|数量(斤)
元年(大正15)/1083|25856|184686
昭和2年/397|39407|262710
昭和3年/374|21455|214550
昭和4年/288|11585|115850
昭和5年/217|13769|137690
昭和6年/371|28913|240940
昭和7年/909|29931|249410
昭和8年/3432|64436|429548
昭和9年/3318|82563|550410
昭和10年/3352|154470|965440
昭和11年/3227|166478|1109850
昭和12年/3345|126700|---
昭和13年/2638|---|---
昭和14年/1513|---|---
昭和15年/---|---|---
生産株数は「戦前(昭和元年〜15年)における園芸生産の推移(収穫量)」p354(表より抜粋)
金額・数量は「戦前に措ける移出園芸の推移」p355(表より抜粋)
「昭和沖縄園芸発展史」


花百合(生産株数)は元年から昭和2年に激減し昭和7年に激増、その後は昭和13・14年に減少。
花卉(金額)は昭和6年に増加、その後昭和8年と昭和10年に増加して昭和12年にわずかに減少。
花卉(数量)は昭和2・3年に少し増加して減少するが昭和6年に戻り、昭和8年に激増。
乱暴にグラフ化。

途中までは同調してるように見えるんですが、花卉数量と花百合収穫量の増加具合が合わない様な気が... 何かが間違ってるはずなんですがよくわかりません。
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勢力(雑誌) 明治40年

画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「勢力 第1号-第4号」からで、切り出して画像加工してあります。

http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=61179
自転車についての連載があるのでたぶんこれは自転車ですね。

奥付には発売所として久米の坂元、久茂地の小澤、新年挨拶には金城清松や饒平名などのお医者さんの名があります。

参考:グダグダ(β) 坂元栄之丞
参考:グダグダ(β) 小沢朝蔵
参考:グダグダ(β) 青山書店/小沢書店

原国さんをめぐるヨタ話

有名なブクブクーをたてている写真です。


「那覇市史資料編第二巻中の7」の196ページには「ブクブクーをたてている原国マヅルさん」というキャプションで同じ写真があります。
千原繁子さんのカルテの余白に、ある首里の御殿がぜいたくな生活をしていたために斜陽化して泉崎の原国家に建物を買い取られて移築されてしまうという話があります。王子御殿というので、鴨居が高く柱は槙(まき/チャーギ)の四寸角以上、抜襖も槙で那覇の富豪のどの家よりもすばらしかったと書いています。

沖縄県人事録(大正5年)に原国政勝という名前で高嶺尋常小学校校長の項目があります。一部抜き出してみます。

沖縄県首里区字真和志の士族政輔氏の長男にして、文久3年(1863)那覇区字泉崎に生る。

原国政勝さんは師範学校を明治20年に卒業、首里小学校訓導、南風原尋常小学校訓導兼校長、喜屋武尋常小学校訓導兼校長。明治45年に高嶺尋常高等小学校訓導兼校長となっています。

以下妄想として。
無理矢理な原国繋がりですが、首里士族だと思われる原国政勝さんの身内が那覇の風習であるブクブクーをたてていたのかといわれると微妙です。明治になる5年くらい前に泉崎で生まれている原国政勝さんの親の世代はどの程度那覇に馴染んでいたかというのもわかりません。
千原繁子さんの話に出てきた「王子御殿を買い取った泉崎の原国家」はたぶんこの原国さんで間違いないと思うのです。明治の初めでも高等教育をうけさせることのできる財力をもった家はあまりありませんでしたが、湧田(上泉)は石垣を巡らせた旧家ばかりでした。

原国マヅルさんは「真鶴」さんでしょう。童名の話になるのですが、王子・按司階級だと「真鶴金(マヅルガニ)」、諸士階級だと「真鶴(マヅル)」、百姓だと「鶴(チルー)」になります(参照元:那覇市史資料編第二巻中の7、p568)。
名前についても自分は良く知らないのであれなんですが、原国マヅルさんはこれでいくと王家関係者ではない士族階級ということになります。

この妄想はどうしようないのでここで吐き出してみました。妄想に妄想を重ねたうえにこじつけて何がしたいんだと言われれば何も言えませんし結論もありません(笑)。

行政区画の変遷

真和志の区域の変遷を書いてみます(一部例外)。

那覇市域の王府時代の村々は、明治5年琉球藩、同12年沖縄県の所轄となり、
同29年小禄間切・真和志間切は島尻郡、
真和志平等・南風平等・西平等は首里区、
那覇と泊・久米・東・西・若狭町・泉崎の6村は那覇区に所属。

明治初年茶湯崎村が松川村と改称。
※明治12年山川村に大鈍川村・与那覇堂村・立岸村を合併。
明治36年真和志間切牧志村を那覇区に編入。
明治41年島嶼町村制により(略)識名・上間・仲井真・国場・安里・松川・真嘉比・与儀・古波蔵・安謝・天久の11村をもって真和志村が成立。
昭和28年市制施行して真和志市が成立。
昭和29年那覇市に首里市・小禄村を編入。
昭和32年那覇市に真和志市を編入。


※の与那覇堂村がどうだったのかがいまいちわからないんですよねぇ...昭和を想定した真和志民俗地図では松川の範囲にあるのですが。
あとWikipediaでは「1914年(大正3年) 島尻郡真和志村から壺屋地区を編入」となっていますが、そうすると明治41年の年島嶼町村制による真和志村成立時の「11村」とあわなくなってしまいます。壷屋が真和志村から那覇市へ編入というのは確かなんですが微妙にわからんとこです。

首里。
明治12上儀保村と下儀保村が合併して儀保村となる。
明治13年金城村に内金城村を合併。
明治39年首里区と西原間切の相田で境界変更が行われ、首里区石嶺・平良が起立。
明治39年首里区と南風原間切の間で境界変更。
大正10年那覇区は那覇市、首里区は首里市になる。
昭和29年那覇市に首里市・小禄村を編入。

那覇への引き上げ

北部への疎開と収容所生活をへて那覇市民は那覇へ戻ることが出来ましたが取り残された人もけっこういたようです。その辺をご紹介。

戦後最初の那覇復帰者であった先遣隊とその家族らが壷屋の一角に入植した直後、つまり区制時代当時、那覇市民の島内分散疎開状況は次の通りであった。
大宜味村 1500
羽地村 3700
糸満町 1500
久志村 2200 ※名護市東部
金武村 5700
胡差 1050
前原 1100 ※勝連半島にあった
知念 730
石川 3800

それに壷屋復帰者(1279)を入れて合計22559人。生活力旺盛なものが先遣隊を負って壷屋に移動してきて昭和24年8月頃までには地方疎開者23685人のうち1447人が那覇に復帰した。それでもまだ各疎開地に那覇市民が残留していた。
首里市 681
東村 53
国頭村 67
美里村 410
与那原町 96
久志村 317
中城村 33
北中城村 238
石川市 4317
具志川村 4321
計10533人が
残留したままだった。
ことに石川市や金武湾を中心とする具志川村などでは戦後六年たっても那覇市民が相当の群落をなして居住していた。
那覇市史通史編2 p706(要約)


1951年(S26)でも一万人以上が元の居住地域外に留まっていたということですね。続けて別箇所から引用します。

昭和21年1月から九州在住の宮古・八重山住民の送還がはじめられ、同年8月から沖縄本島とその周辺諸島への送還がまじまり、同年年末までに疎開者、復員者、外地引揚者その他11万余が沖縄に帰ってきた。
これら本土からの引揚者で各市の人口が急激に増え、ことに石川市や前原市などは那覇市民が群落をなすようになった。
(略)
那覇市はその後戦後出来たみなと村をはじめ、真和志村、小禄村、首里市を合併して人口30万の都市となった。しかしその影には戦時中地方に疎開したまま27年後の今日まだ那覇に復帰できない旧那覇市民の存在は忘れられがちである。
那覇市史通史編2 p735-736(要約編集)


戦後27年だと1972年ですから復帰当時でも戻れなかった人がいたということですか。しかし72年だとそれなりに発展しているので戦中移動した先に定着してしまったと考える方が適切かとも思います。
戦後の那覇は離島出身者をはじめ各地の人達がどっと入り込んできていますからかなりの住居難が続きます。埋立などもその対策として行われたはずですが土地接収などもあり後手にまわってしまったのは否めません。現在でも割当で住み着いた人達たちの居住区域の開発や事実上のスラム解消などはまだ終わっていません。

参考:真和志南部の解放順序
参考:旧那覇地区の解放順序

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