真和志の区域の変遷を書いてみます(一部例外)。
那覇市域の王府時代の村々は、明治5年琉球藩、同12年沖縄県の所轄となり、
同29年小禄間切・真和志間切は島尻郡、
真和志平等・南風平等・西平等は首里区、
那覇と泊・久米・東・西・若狭町・泉崎の6村は那覇区に所属。
明治初年茶湯崎村が松川村と改称。
※明治12年山川村に大鈍川村・与那覇堂村・立岸村を合併。
明治36年真和志間切牧志村を那覇区に編入。
明治41年島嶼町村制により(略)識名・上間・仲井真・国場・安里・松川・真嘉比・与儀・古波蔵・安謝・天久の11村をもって真和志村が成立。
昭和28年市制施行して真和志市が成立。
昭和29年那覇市に首里市・小禄村を編入。
昭和32年那覇市に真和志市を編入。※の与那覇堂村がどうだったのかがいまいちわからないんですよねぇ...昭和を想定した真和志民俗地図では松川の範囲にあるのですが。
あとWikipediaでは
「1914年(大正3年) 島尻郡真和志村から壺屋地区を編入」となっていますが、そうすると明治41年の年島嶼町村制による真和志村成立時の「11村」とあわなくなってしまいます。壷屋が真和志村から那覇市へ編入というのは確かなんですが微妙にわからんとこです。
首里。
明治12上儀保村と下儀保村が合併して儀保村となる。
明治13年金城村に内金城村を合併。
明治39年首里区と西原間切の相田で境界変更が行われ、首里区石嶺・平良が起立。
明治39年首里区と南風原間切の間で境界変更。
大正10年那覇区は那覇市、首里区は首里市になる。
昭和29年那覇市に首里市・小禄村を編入。PR