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フチサ(フチシヤ 淵佐)

真和志市誌より引用します。

フチシヤ(淵佐)
湧田の郊外、古波蔵の南涯、漫湖に望んだところで、眺望、広闊、那覇人士の遊観の地として良く知られたところである。続にフチシヤと称え「淵佐」の字を充てることもあるが、実はフチシヤは淵下の意であろう。崎山御殿の南表にもフチシヤがあり、真和志村字上間の淵下原(ふちしゃばる)等みな同じ義で、方言「フチ」とは、懸崖の義でフチシヤは崖下というに当たっている。
真和志市誌 p80


以前フチサは地形に因する名前だったように記憶しているが忘れてしまったと書いたことがあったのですが自己解決しました。
場所は下記の図の通りになります。
古墓群
上間にある断崖のふもとの淵下原(ふちしゃばる)、首里金城町のフチサ、そして楚辺のフチサ。いずれも地形から来る命名でフチシヤ、フチシャ、フチサは変化の範囲内だろうと思われます。

関連:グダグダ(β) フチサ(フチシヤ 淵佐)
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海岸線の変化

那覇市の水際の変化を年代別に並べて軽くまとめてみます。

まず那覇の古海岸線と地名

那覇の全く人手が入っていない古い自然海岸線はこんなもんだと思います。
この図で陸地になっている部分の間に浅瀬があり河口である那覇はしぜんと土砂が堆積してゆきます。後年長虹堤による堆積促進により内海は陸地化します。

那覇の古海岸線と地名に現在の通り名などをマッピングしたものです(1700年以前)。
現在の海岸線と標高図はこんな感じです。


そして戦前の那覇

浮き島との間は完全に埋まっています。
そして那覇市のサイトにあった埋め立て地の図。

年代の古い埋め立て地と新しいものが一緒に書かれているので時系列で追ってくるとわかりづらいですが、戦後の那覇市の埋め立て事業はすぐ調べられますし戦前の那覇の図と見比べてみるとある程度はわかるかと思います。港湾整備や海岸線の造成が中心ですね。それと塩田の潟(前島)が陸地化されました。
戦前に行われていた古い埋め立ては西新町などが代表的だと思います。


ここにある図などは官庁などから無断でお借りしています(すいません)。
過去に当ブログ内で取り上げたものをまとめ直して再掲しているのですが、過去記事でオリジナルのサイト名などはできるだけ表記するようにしています。
このブログは勉強てがらのまとめ記録ですので間違いなどがある可能性は高いです。そして複数の考え方があるものに対してすべてを調べていません(特に地名などに関して)。専門家の方々も食い違う意見がありますし論考などは更新され続けていますのでここは参考程度にとどめて下さい(またそういった未確定であるような項目はできるだけ参照元を示すようにしてはいます)。
改めて引用させていただいている皆様方に感謝いたします(平伏)。

河川

那覇の河川についてまとめておきます。
国場川水系、安里川水系、安謝川水系の三つが大きなものとなります。
浦添との境目が安謝川、豊見城との境が国場川、那覇の中心を流れるのが安里川です。安里川は複雑に合流と分岐を繰り返しているのでわかりにくいですが源流は弁ヶ岳です。
那覇水系
源流があるのは弁ヶ岳の安里川、長田のガーブ川、首里辺りの真嘉比川、石田のキブンジャー川です。とはいえ安里川水系では安里川と真嘉比川以外は水がわき出すというよりも排水路のような流れで源流とは少し違うかもしれません。

安里川水系
安里川 - Wikipedia
沖縄県那覇市首里鳥堀町の弁ヶ岳に発し、那覇市と南風原町の境界付近を南西方向へ流れ金城ダムを通過し那覇市松川付近で真嘉比川、那覇市三原付近でキブンジャ川を合流する。

久茂地川は仲良橋付近で安里川から分岐し、牧志と前島の境を西流する。美栄橋付近で潮渡川を分岐し、南西方向へ向きを変え、十貫瀬橋付近でガーブ川と合流する。 

ワイトゥイ

ワイトゥイで検索すると勝連の切り通しのことが出てきますが方言で切り通しのことをワイトゥイといいます。割り取りですね。
本の中から那覇のワイトゥイのことを引用しておきます。

人口密度が高く、集落間を結ぶ通路としてのワイトゥイは沖縄本島中南部に多く分布していた。特に琉球石灰岩とニービ(砂岩)が広く分布する地域のワイトゥイは昭和期に至って構築された物が多く残存している。
近年、公共事業の一貫として各地のワイトゥイは拡張整備され、歩道のついた道路となり様相がすっかり変わってしまい、未舗装のワイトゥイを見つけるのは容易ではない。かつて首里の儀保から平良に至るジーブクビリ一帯にあったテーラマチがにぎわった通りも、今では石嶺本通り(県道5号)の通路となって、ワイトゥイらしさを失い、そこを通る人達はほとんど思いもつかないらしい。かつてワイトゥイは隣村の若者同士が集う毛遊びの場所でもあった。
(島袋 伸三)
地名を歩く/南島地名研究センター編著 p124


ジーブクビリは「儀保のクビリ」で、クビリは括れと同義で狭くなった場所のことです。
テーラマチは汀良平良マチのこと。

兼久

鏡水(カガンジ)と関連する兼久(カニク)。
鏡水と同じように土地の性質からの地名です。

兼久は砂地の義

羽地村字稲福の俗称を兼久という。
兼久は砂地の義であることは普通にしられていることであるが、しからば何故に砂地を兼久というかは明らかでない。
あるいはかにくカリクの義で、カリは枯れることであろう。砂地は則ち枯れ地で、鏡水というのが剥地の義であるのと同様である。に言うことは方言に例が多い。則ちマニ(尻)は放り(マ-り)であり、タニ(男根)は垂りであり、山原語はアニは蟻である。そして石グ砂グと同じ接尾語であろう。
(略)
我如古は宜野湾村の字名でガニクと読み、兼久と同じく砂地の義であろう。
(沖縄地名考/宮城真治 p63)


そういえば手に取れるくらいの石をイシグーと呼びますね。
兼久・カニクが何故砂地なのかというのは普通に知られていることとして説明はないですねぇ(笑)。

那覇市では兼久という地名は消えてしまいましたが、上図の前島あたりの水色で二つ囲まれた地域の上のあたりが兼久です。那覇市民俗地図では兼久の塩田として示されています。

鏡水

鏡水は禿地の義
鏡水はカガンジと読み、小禄村の字名であって鏡水大根をもって知られたる砂質の土地である。
国頭村字辺土名の小字に鏡水がある。そこもまた砂地である。その他にも小字名にカガンジという所がいくらもあるが、砂地であることはこれも同一である。 カガンジは、山原では多くハガンヂといい、それが原音に近いものであろう。
ハガンヂはハガーヂ即ち剥げ地の義で、不毛なる砂原を意味したと思われ、内容において兼久や与那と相通ずるものである。
沖縄地名考/宮城真治


とりあえず一説ということで。
那覇市内の鏡水は空港のあたりになります。

字鏡水は、小禄台地の北部・東支那海に面する海岸低地に位置している。北端は先(崎)原崎と呼ばれた地で、小禄間切の安次嶺村・儀間村の一部であった。明治36年土地整理の結果、安次嶺村の内鏡水原・伊保原・前原儀開村の内蚊阪・名産原・下田原・箕隈原・土砂場原・水溜屋原・崎原当を割いて新たに「鏡水村」を置き、同41年町村制施行の結果、小禄村字鏡水と称されたのである(南島風土記)
小禄 -OROKU- うるく
http://takara.ne.jp/oroku/kaganji.html (省略と編集)

我那覇

我那覇は磽角の義

我那覇(ガナファ)は豊見城村の旧字名で、今は名嘉地と合して地覇と称えている。方言磽角の地をカンパ、もしくはガンパーという。我那覇はその転である。
磽角(こうかく)--- 石ころが多く、土地がやせている・こと(さま)。ぎょうかく。

沖縄地名考/宮城真治から。

原(ハル) 毛(モウ) トー

原(はる)とは、耕作地を表し、毛(もう)とは原野をいうこと、沖縄本島中南部方言と同一である。
また傾斜道を指すに、サカ地名は皆無で、坂道にはヒラ地名が付与されている。坂道を下から見るのがヒラで、上からはサカと呼ばれる。
カーとは井泉の義であるが、その音声から川の字が当てられ、河川にはカーラまた濁音になって○○ガーラ。カーラの変化した○○チャーラ、また濁って○○ ヂャーラと呼ばれるが、これは河川を原義とするものであろうが、これも川の字があてられていて字面だけでは井泉か河川かの判断はつかない。

桃原町(トー バル)
行政呼称と本来の呼称が珍しく一つである数少ない町名の一つで、いづれもトーバルで、隣の大中と併称してウフチュン・トーバルと呼ぶ。
琉球方言のトーとは、平坦な地をさす。『南島風土記』は「トーバルと唱へ、平蕪の義なれども今はモモハラと訓ませ原義を失へり」と記している。ある部分にモモハラと呼んだむきが会ったかも知れないが、ひつ者の知る限り、首里人一般が、モモハラと呼称した経緯はない。



「平蕪」とは雑草の茂った野原のことのようです。
ともかく重要なことがいくつかあります。
>原(はる)は耕作地
>毛(もう)は原野

人間の利用の仕方での呼称の変化ですね。
>カーは井泉
>河川はカーラ、濁音になって○○ガーラ、カーラの変化した○○チャーラ、また濁って○○ ヂャーラ

このへんは字面(と読み)だけでは井泉か河川かの判断はつかないということ。
>トーとは平坦な地をさす
沖縄の地名では漢字の意味より読みを重要視しなければいけません。
桃原は「ウフチュン・トーバル」で大中・桃原であり「おおなか・ももはら」ではありません。地名の併称は沖縄の他地域でも例がいくつもあります。

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