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向春商店(嘉味田朝春)

大正9年の琉球新報から向春商店の開店広告です。

開店広告
拝啓時下秋冷之候各位益々御隆祥之段奉
大賀候陳者私儀多年熊本商店在店中ハ格
別之御引立ヲ蒙リ有難御礼申上候然ルニ
今般都合ニ依リ同店ヲ辞シ左記ノ所ニ米
雑穀卸売業ヲ開店仕候ニ就テハ迅速正確
丁寧ヲ旨トシ専心従業可仕候ニ付何卒御
同情ヲ以テ一層御愛顧御引立ヲ蒙リ度此
段伏シテ奉希上候
11月3日 嘉味田朝春 旧名朝苞
営業品目 米雑穀 素麺黍粉 油類卸商
なは区東町5丁目1番地
向春商店
電話339番
発電略号コウ(又ハ)コ

琉球新報 1920(大正9)年12月31日 (抜粋と編集)


「嘉味田」と「向春」は山里永吉関連で「印刷人は通堂町2ノ1の嘉味田朝茂、印刷所は同住所の向春商会印刷部」と出てきました。
東町5丁目は通堂に近い海のそばです。

参考:グダグダ(β) 東町(昭和4)
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沖縄鉄工所/沖縄機械工業相談所

大正9年の新聞広告です。

最新発明甘蔗圧控器
発明名称 万年車(特許出願中)
発明特典 本車ハ油溜ニ於テ回転シ軸ハ固定シローラーノミ巡リ56ヶ月ニ1回1合位注油スレバ走ル故ニ巡リ安ク且ツ使用軽便ニシテ永年使用ニ堪ユ
右新造○旧車ト取替エ○旧車ヨリ修製○可致候百聞ハ一見ニ不如可成見聞ノ上御注文相成リ度御願申候
沖縄鉄工所設計製図士
久茂地町2ノ60
発明販売者 瑞慶覧長栄
西新町2ノ6
製造所 株式会社沖縄鉄工所
※●は不明文字、○はママ
琉球新報 1920(大正9)10月8日 (抜粋と編集)


もう一つ西新町つながりで同日の紙面から。
圧搾機にはサトウグルマのルビがついています。

沖縄機械工業相談所
ナハ区西新町3丁目12番地
大正劇場前 照屋淳規方
営業品目
陸舶用諸機械 ガソリンモーター
発動機ポーリング 新旧式砂糖車
並 器 具 水車利ヨウ諸機械
(オータータービン) 製材械
澱粉機 諸機械考案 添付 運転
設計 製図 見積 製作 修繕
特許製図 ベルト(帯革)類其他一式買入販売
●新発明自動転油圧搾機 販売元
琉球新報 1920(大正9)10月8日 (抜粋と編集)


営業品目は縦組を横書きにしてしまったのでわかりづらくなっていますがこんな感じ。

食用百合根(昭和12)

地元紙に掲載された東京発のニュースで食用百合根と書かれてあるものがありました。

百合根国営検査/カナダから希望/輸出途中で二割腐敗
東京16日発 カナダ政府○林省より外務○○商局に達した通牒によると現在○○からカナダへ向けて輸○される食用百合根は年額四百万に達するが、その二割は品質検査の不完全から輸送の途中腐敗して食用に供することが出来ないので厳重なる○営検査の実施方を○望してきた。
(後略)
沖縄日報 1937(昭和12)7月18日 (抜粋と編集)


略した部分にはアメリカへ年130万円、イギリスに年100万円の輸出があると書かれています。
沖縄と関係あるかはわかりませんが、とりあえず地元新聞がわざわざ掲載したので何らかの意味合いがあるものと思われます。

マルコシ牛乳部(下吹越)の広告

大正13年の牛乳屋と畳屋の新聞広告です。

広告
県下で一番によく売れる
牛鵜入は波の上◎牧場
牛車は毎日消毒を施し清潔を
怠らぬ波の上◎牧場
飼料がよいから滋養分の多き事
県下の大関
牛乳ご入用のお方は電話337番へご用命下さい
波之上◎牛乳部
畳の御用は
山川橋通米次漆器店前十文路ノ角
◎畳部へご用命下さい
取次 電話337番
沖縄タイムス 1924(大正13)年5月30日 (抜粋と編集)

※抜粋中の◎は

「波之上牛乳部」(マルコシ?)としかないのですが、これは下吹越牛乳搾取所ではないかと思われます。主の「下吹越 一」さんは昭和12年の人事録にも名前があります。
畳部ってのはわかりませんが、場所は米次漆器前「十字路」に畳部はあったようですので、図中の「十文字」とは別だと思われます。


電球封じ工募集広告

募集
封じ工 2、3名 経験者
日給 1円以上

右希望者ハ至急御来談アリ渡シ

懐中電燈用 スポット球 オパル球 自動車球 各種電球 輸出販売

那覇市松下町2ノ54(司令部下)
合資会社 沖縄豆電球製作所
電話724番
日刊沖縄新聞 1937(昭和12)年3月20日 (抜粋と編集)


松下町の軍司令部近くにある電球製作会社の募集広告です。
「封じ工」というのは電球の組み立てでもしてたんでしょうか。

波上病院の広告

大正12年の新聞広告ですが病名を方言名でも書いているのが面白いです。

◎血尿 チーシーバイ
◎乳色尿 シルシーバイ
◎血性乳色尿 チーマンチシルシーバイ
◎疝気 クサフルヤー
◎象皮病 ヒシヤブーター ヤツクワナー
那覇波之上通り 波上病院
琉球新報 1923(大正12)年3月24日


那覇市史(資料編第2巻中の7)に「医療・衛生・保健」(p665)があるのですが象皮病の方言名はありません。
「ヒシヤ」はおそらく「ヒサ」で足のことでしょうから足が腫れあがってること、「ヤツクワナー」はヤックヮンのこと。

http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN41170

やどかりの輸出

戦前に陸やどかりを京阪神へ輸出していた新聞記事がありました。
内地の気候では長生きできなかったようですが...

南島の“陸やどかり”/関西で大人気/生態が珍奇でコドモの愛玩用に/今夏、5万匹も進出
疲弊した島々の子供たちが、家計手助けにと海辺で採取して1、2年前から京阪神へ送っていた“陸やどかり”が値が安いのと生態が珍奇なのと飼い易いのとで非常な人気を博し今夏の入荷は5万を越え、百貨店にも夜店にも、縁日にも幅を利かして家庭愛玩○物中のはやりっことなりました。
(中略)
餌は甘藷、にぎり飯果物のあまり物など、陽かげに置くほか、手入れを要しません。一○夏過ぎると死にますが、○った貝殻は標本に役立ちます、○阪では1匹3銭から20銭までの値段である。
沖縄日報 1937(昭和12)年7月17日 (抜粋と編集)

市場の珍商売 2(53年)

那覇市史の戦後新聞集成2(p57)からで、市場の珍商売 1(53年)の続きです。

両替屋も繁盛 弗や日本円の両替も妙な現象。いつまで経てばなくなるのやら特に最近では日本円との両替商売が当っているという話だ。どこかの植民地的な話ではある。
この寒いのに氷水専門の立売りが居るがどんなに寒い日でも商売になっていますというから驚く。右往左往して渇いたアンマー達がぐっと一息にノドを潤すのだろう、飲み手は殆ど女だと売り手はのべていた。
金のまた貸し 金のまた貸しというのがある。○○斡旋所といったところを仲介に安い利子で借りたのをまた貸し、利ざやをはねるという手、ある斡旋所の話だが入院した夫の費用をこれで十分に稼いでいるという婦人が居る。斡旋所でもう一つ、お客面して描く斡旋所を訪問、それを横取り、看□なきモグリの斡旋業で人の目をかわしているのもいるそうな。
質屋あさり 質屋めぐりの専門も現れているが、これは安物買いでボロい設けをしようという類い、ちょっと頭の良いところでは商品の動きを注視、投売り品を買いあさるという専門家もいるそうだ。
沖縄タイムス 1953年1月25日 (抜粋と引用)

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