忍者ブログ

グダグダ(β)

メンテナンス中/内容について一切保障できません
3/24アクセス解析再設置/不快に感じられる方はJavaScriptオフを推奨

MENU  ブログ内検索は左のMENUからできます

ENTRY NAVI

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

戦前の松尾

沖縄タイムス掲載の「思い出のわが町」から「戦前の字松尾民俗地図」、想定年代は昭和10年頃のようです(参照:那覇の民俗編集ニュース)。

元図は上の図よりもうすこし範囲が狭く、周辺部の書き込みなども少なくなっていますので、(上図で)確実なのは国映館周辺のみではないかと思われます。また緑色を畑としてありますが、元図では畑と書かれていない箇所も畑だったと推測できる箇所は畑に分類しました。

写真を見ても殆どが畑であったと推測できます。
PR

「首里古地図」と首里城下町の復原/松川

関西大学のリポジトリから。

「首里古地図」と首里城下町の復原/高橋 誠一
http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/handle/10112/4314



東恩名文庫版、嘉手納宗徳作成版、田名・吉川作成版の「首里古地図」をめぐる話と現在の地図上に古道を再現するとどうなるか等々面白いです。
上の図はpdf中の図から(当方守備範囲周辺の)松川・金城町あたりを切り出して作成しました。首里古地図の範囲はpdf中に全部ありますので首里に興味のある方は必見かもしれません。

大門前通りの店舗名

那覇区全図(大4)での大門前通り。孔子廟から市役所前までの大通りです。


沖縄タイムス掲載の「思い出のわが町」から「戦前の大門前民俗地図」。

同じ連載での東町の店舗名と食い違ってる部分がありますが、ほぼそのまま模写してますので食い違いも元図のままということでご了承いただきたい。

実際の那覇市街がどうなっていたのかは下記リンク掲載の図などを参考に。
グダグダ(β) 昭和初期の久米と景観推定図
グダグダ(β) 新聞資料による旧慣制度撤廃後那覇の地図作成
グダグダ(β) 那覇地図
グダグダ(β) 旧那覇の歴史・民俗地図

※食い違いは図の想定年代の違いの可能性があります(東町の店舗名に追記)。
※那覇の民俗編集ニュースの「那覇の民俗地図町(字)別想定年代と作成協力者」の「東町 昭和15年頃 山田有邦」というのが図の作成者ではないかと思われますので、想定年代は昭和15年頃になるかと思われます。

高田茶舗/高田豊

株式会社タカダ(以下タカダ)のページに沿革と創業時の場所が掲載されていました。

大正元(1912)年|高田豊(創業者) 福岡県八女にて3男2女の次男として生まれる。
大正9(1920)年|高田豊、小学2年の時、福岡県八女市より、那覇市東町にあった父のお茶の取引先である屋宜商店に預けられる。(9才〜18才の10年間、丁稚奉公)
昭和4(1929)年|現在の「株式会社タカダ」の前身である「高田商店」を那覇市東町1丁目で創業。お茶を主体として、そうめん、昆布、海苔、缶詰等を商う。
昭和5(1930)年|那覇市東町4丁目の松田橋前に支店を開設。
昭和24年(1949)年|那覇市牧志(現・牧志交番辺り)に合名会社として高田商店を再建。

http://www.takada-inc.co.jp/enkaku/takada-en.html(抜粋と編集)


創業時MAPのページ。

http://www.takada-inc.co.jp/Establishment/e2.html

東町の店舗名で取り上げた沖縄タイムス掲載の「思い出のわが町」での図にも東町4丁目松田橋近くに「高田茶舗」があります。1丁目の店舗は確認できませんでした。
丁目などは東町(昭和4)を参考にして下さい。
戦後の店舗図(牧志大通り(50年代初期))にも高田茶舗の名があります。

旭町の店舗名

沖縄タイムス掲載「思い出のわが町」の「泉崎、湧田民俗地図」から旭町部分。


昭和4年の番地図ではこんな感じ。冒頭の店舗名図とは敷地が微妙に違うような気もしますがこうなってんだからしょうがないのです...

参考として小牧薫さん。店舗名図での小牧商会はだいたい5あたりですね。

小牧薫 肥料 那覇市旭町5
君は鹿児島県人故小牧藤次郎氏の長男にして、明治35年を以て那覇市に生る。鹿児島商業学校に学び大正13年以降家業を継いで今日に及んで居り、肥料商の傍ら石門通りに日蓄堂を経営し、蓄音機販売店を兼営す。


店舗名図中の金城キク商会は戦後の会社と同じ名前が書かれています。戦後の金城キク商会の前身は戦前の旭町にありましたが、当時は急設されたお父様の会社を引き継がれていた時期ですので、戦後神里原で創業された金城キク商会とは(正確には)異なっているかと思われます。

※未確認ですが図の想定年代はおそらく昭和6年頃、図のオリジナル作成者は崎間麗進さんだと思われます(参照:那覇の民俗編集ニュース)。

Stock Footage - Native people of Okinawa

1972年の動画らしいです。

Native people of Okinawa. Men and women walk on road. . American officers at a bank window in a bank. Car drives past 'Italian Food House Restaurant'. An Okinawan farmer works in a farm. Two Japanese men fix a boat. Truck at a mining site. Public union demonstrators demonstrate carrying red flags with Japanese writing.

http://www.criticalpast.com/video/65675025529_Native-people_Italian-Food-House-Restaurant_red-flags_public-union-demonstrators

下側の囲った箇所は動画からの画像になっていて、クリックすることで拡大表示されます。松尾と書かれたバス停、文林堂などが確認できます。他はコザとか本部あたりの工場だと思いますがよくわかりません。

32軍司令部壕

範囲外ですが資料として32軍司令部壕の図面。
数字は第○坑道の○に相当します。

参考にしたのは「平成6年度旧第32軍司令部壕試掘調査業務(Ⅱ期)」の「坑道平面図」で沖縄県土木建築部南部土木事務所と書かれています。本からコピーして手元にあったものですが、どこからのコピーなのかは忘れました(すみません)。
手元には三葉あり、それぞれに「別紙1」のような数字がついていますが、このうちの別紙3の平面図と同じものがwebにあります。この別紙3には「本図は沖縄作戦遠征米軍部隊(第10軍)のG-2(情報部)が調査したものを参考に作成した」とのただしがきがあります。

http://hc6.seikyou.ne.jp/home/okisennokioku-bunkan/okinawasentogama/sanjunigunsireibugou.html

別紙2は横断面図になっていますが、第1、2、3坑道ともに地上入口から下って入ってゆき、全体的には第5坑道へ緩やかに下ってゆくような傾斜がついています。この別紙2は別紙1と同じく沖縄県土木建築部南部土木事務所が作成したもののようです。
youtubeに調査の模様があります。

第5坑道:http://www.youtube.com/watch?v=RVb6LYueS28
第2坑道:http://www.youtube.com/watch?v=LSGycn9KBm4

平野区の位置


琉球新報に平野区が区誌作りに取り組みはじめたというニュースがありました。
上図は掲載された図を参考に作成してあります。

那覇・平野区 苦難の歴史、後世へ 区誌作り取り組み - 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-191128-storytopic-5.html


平野区が戦前から存在していた集落だと勘違いしていたのですが、記事では戦後山原にいた那覇からの避難民が現新都心に移住し、米軍による立ち退きで寄宮に移動したということのようです。
ということは平野は那覇出身者で構成された戦後の寄り合い部落ということですね。どこの出身者が中心になったんでしょうか。
※間違いがあった記事は現在非公開にしました(後日修正予定)

範囲を見ると那覇国際高をだいたい中心として銘苅小と新都心公園を含む一帯のようです。平野区の地図が存在しないため自治会長の記憶を基に作成されたようですが、戦前の現新都心一帯は目印になる丘や多和田川などがあるのでそこを基準とすればそれほど狂いのないものになっているだろうと思われます。ちょうど安謝・天久・上之屋の中間くらいになるのかな?

× CLOSE

ブログ内検索

アクセス解析

カレンダー

05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30

最新コメント

[08/08 なちょうらーざ]
[07/19 shimoji]
[07/19 shimoji]
[03/21 2階の店舗の娘]
[03/05 福島敏彦]

× CLOSE

Copyright © グダグダ(β) : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]