
琉球新報に平野区が区誌作りに取り組みはじめたというニュースがありました。
上図は掲載された図を参考に作成してあります。
那覇・平野区 苦難の歴史、後世へ 区誌作り取り組み - 琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-191128-storytopic-5.html平野区が戦前から存在していた集落だと勘違いしていたのですが、記事では戦後山原にいた那覇からの避難民が現新都心に移住し、米軍による立ち退きで寄宮に移動したということのようです。
ということは平野は那覇出身者で構成された戦後の寄り合い部落ということですね。どこの出身者が中心になったんでしょうか。
※間違いがあった記事は現在非公開にしました(後日修正予定)
範囲を見ると那覇国際高をだいたい中心として銘苅小と新都心公園を含む一帯のようです。平野区の地図が存在しないため自治会長の記憶を基に作成されたようですが、戦前の現新都心一帯は目印になる丘や多和田川などがあるのでそこを基準とすればそれほど狂いのないものになっているだろうと思われます。ちょうど安謝・天久・上之屋の中間くらいになるのかな?
PR