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常磐楼

沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「袖珍沖縄旅行案内 全」1895(明治28)年からで、切り出して画質調整してあります。

広告なんですが読んでみると神戸にある店の支店のようです。

料理の儀は御客様の御注文に随ひ風味第一安価に勉強芸妓も御招き次第何時でも(オット夜分十二時後は御免)御間に合せ可申候間賑々御来遊の程奉仰候
那覇通堂 常盤楼

この常盤楼は台湾に移ってしまいます。

那覇には元海月、東家、吉武、小徳、京亀、常盤など十数軒の料理屋ありて、芸者の数約百人を算し立派なる検番も設置せられ花柳界の繁栄真に目覚ましきものありき。されどこれ明治22、3年ごろの事にして、そのあと同29年には全部新領土たる台湾に移り
沖縄県人事録(大正5)
グダグダ(β) いろは楼
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三国屋/浅田五三郎/池畑回漕店/岩満写真場

画像はすべて沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「袖珍沖縄旅行案内 全」1895(明治28)年から。切り出してモノクロ化と画質調整してあります。


http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=51006
左から、「那覇西村170番地 三国屋」「御旅館 那覇港西村52番地 浅田五三郎」「琉球那覇港 池畑回漕店」「那覇東村上の倉 岩満写真場」。
おそらくこの4軒すべて寄留商人です。

関連:グダグダ(β) 楢原旅館/風月楼 (浅田旅館は後年楢原旅館になる)
関連:グダグダ(β) 池畑盛之助(池畑旅館・池畑運送店)

福岡商会

大正5年の沖縄県人事録から福岡商会、画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫から。画像は切り出して画質調整してあります。

薬舗 福岡商会
明治25年前主福岡伊之助氏和歌山県より来県し、楠見支店と称し、那覇に於て本県唯一の薬店を開業せるものは即ち現福岡商会の前身にして、当時は本県に一の薬店無かりし時代なれば其売行も至って少なかりしも、氏は能く此の難関を切抜けて今日あるに至らしめたるは偉とすべし。同店の業務は二区は勿論各地方へ売子を出して購買業者の勧誘販売に力むる外、医療工業薬品の販売をも為し、更に新式の広告術を利用して洋酒、絵具、染料等の委託販売をも営み、今回の欧州戦乱に際しては巨万の利を獲得せり。一方薬学士伊野波盛益氏を聘し監督の任に当らせて製剤に改良を加へたる結果、今や沖縄の模範売薬として各所に歓迎せらる。大正元年業務を嗣子たる現主叶氏に譲りて福岡商会と改めたるが、近々合名組織として業務拡張の企ある由。吾人は重土捲来前途を有する同店に向って益々成功を期待すると共に、我県の為め貢献精励せられん事を切に祈る。
(那覇市大門前通り 電話227番)
沖縄県人事録/楢原 翠邦編 (抜粋と編集)


楠見薬局だと思うのですが、後年の移転を含めまだよく整理できていません(後日追記します)。
参考:グダグダ(β) 我喜屋良徳  (元楠見薬店店員)

那覇まちのたね通信 | 那覇(商店)/楠見本店/戦前/店主は楠見長栄氏。/(1935年頃)
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1027

輪友自転車商会/水間巌

大正5年の沖縄県人事録から輪友自転車商会、画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫から。画像は切り出して画質調整してあります。


http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=50102
輪友自転車商会
自転車を目して贅沢物と為したりし時代は既に去りて、今や殆ど欠くべからざる実用品として、各商家是れを用ひざる無し。殊に帝都を離れて地方に赴けば、交通機関の発達程度頗る貧弱にして若し迅速に用便せんと欲せば乗り物に拠らざるべからず、然も其高価なると之れを利用するの不便は、到底自転車の安価にして手軽きに比すべくもあらず、殊に沖縄県下の如きに於て其1日も欠くべからずを感ず。輪友自転車商会は水間巌氏の経営する処にして、大正2年那覇区東町に初めて開店し、自転車の売買修繕及塗替等に従事し、爾来各所の信用を受け、現に3人の職工を督して修繕其他に昼夜多忙を極む。一見頗る質素の店舗にして、然して内容は極めて充実し、勤勉努力、益々技能の優秀を期し、販売方法に最善の途を講じつつあり、本県模範商会の称ある又宜なりと云ふべし。
(那覇区東町2ノ20)
沖縄県人事録/楢原 翠邦編 (抜粋と編集)


当時の商店などは自転車に荷物を積んで配達や販売などをしていたようですから商業の発展に伴って自転車は普及してきたんでしょう。
一般用としてはまだかなり贅沢なものです。

参考:グダグダ(β) 東町(昭和4)

島袋商店(西新町)

大正5年の沖縄県人事録から島袋商店、画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫から。画像は切り出して画質調整してあります。

http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=50102
材木商 島袋商店
那覇区西新町の西海橋側に在り。間口8間、奥行3間の店舗を構へ、後に清楚なる住宅ありて、其左側には2階造り120坪位の倉庫を控へ、又右側の道路を隔てし海岸に60坪余の第2倉庫を設け、材木商として理想的建築の称高く、店運隆隆たるを島袋商店とす。店主は島袋嘉辰氏にして材木の販売を主とし、兼業として塩の元売捌及砂糖の売買を営みつつあり。(中略)島袋氏は同業者間を斡旋して木材株式会社を設立し、協同連絡して秋田等の産地より傭船して直接輸入を為し、以て中間商人の為めに利益を壟断せらるるの弊を防ぎ、斯界の為め貢献しつつあり。
(那覇区西新町3ノ8 電話74番)
沖縄県人事録/楢原 翠邦編 (抜粋と編集)


上左図は西新町(昭和4)、上右図は沖縄タイムス掲載「思い出のわが町」の「戦前の西新町民俗地図」をもとに作成した図です。

辻の家主で「沖縄の遊郭」から大正2年の辻の家主を引用してありますが、3棟所有で島袋嘉辰の名があります(住所は西となっていますが)。
同一人物だとすると相当儲っていたんでしょう。

糸数製帽所

大正5年の沖縄県人事録から糸数製帽所です。画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫からで、切り出して画質調整してあります。


http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=50102

糸数製帽所
那覇区前島町崇元寺河畔に、石塀を廻らしたる堂々たる一大工場あり、是れを糸数製帽所とす。明治43年の創立にして、総坪数70有余、建坪500余ありて、他に100余坪の石造庫を有し、県下に分工場を設置すること十数ヶ所、職工実に4572人を使役し、日々製出せる帽子は各地に輸出せらる。帽子は所謂阿旦葉帽子と称し、一名琉球パナマの名あり。原料は琉球特産の阿旦葉と称する植物の葉にして、琉球に於ける最も良質なる阿旦葉生産地たる八重山に粗製原料製造所を設けて粗製し、本工場に送りて漂白す、製出高1日650個にして、10等より1等に至るまでの区別あり。斯くて製品は神戸の出張所に送りて売捌かれ、英、米、仏、支那等に輸出せられ、又内地に於ても需要あり。産額過剰、粗製濫造と欧州戦争は、帽子の売行に大打撃を蒙り、小資本にて経営する者の如きは悉く倒産したるも、本所のみは此間に在りて些かの打撃なく、品質の善良資金の潤沢を以て販路の拡張を来しつつあり。所長は糸数元英氏にして同元盛氏神戸支店長たり。
(那覇市前島町1丁目、電話314番、支店、神戸市御幸通7ノ87)
沖縄県人事録/楢原 翠邦編 (抜粋と編集)


「日報の沖縄人名録(昭和12年版)」の酒造業に糸数元英の名があります。

前島町1ノ107/糸数元英
日報の沖縄人名録(昭和12年版) 
グダグダ(β) 昭和12年の酒造業



画像は糸数製帽所です。元画像は下記サイト様のもので、自分が画像加工してあります。

大正時代に沖縄に在った企業 (59) - 昔の写真と資料 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/pusan_de/3352123.html

東家本店・東家分店

グダグダ(β) 吾妻館の広告(明治28)と同じ本(袖珍沖縄旅行案内 全)の次のページです。
画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫からで、切り出して画質調整してあります。



左は「那覇通堂 東家本店」、右は「那覇東村警察署前 東家分店」。
本店の方は座席21席、料理は万端、眺望も良いといっています。
分店は「すき鍋一口料理折詰弁当仕出」もひきうけ、「通堂本店吾妻館共相連絡し御勝手次第に」とあるので本店は吾妻館と同じ(?)というのがわかります。

吾妻館の広告(明治28)

1895(明治28)年の「袖珍沖縄旅行案内 全」から吾妻館の広告です。
画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫から、元画像での文字は赤ですが画像加工してあります。


http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=51006

「吾妻館」は後の風月楼です。

明治20年代に塚本某というのが、このみものぐすくに大和風の料理屋「吾妻館」を開設したが振るわず、その後楢原嘉平が譲り受け、名を風月楼と改称し、新しい経営に当った。
市民の友 1981年12月15日 第372号
グダグダ(β) 楢原旅館/風月楼


広告には「景色無双吾妻館」「ひ労を慰する蓬萊温泉、口を悦ばす蓬萊軒の西洋料理亦館下に在り」「吾妻館主 塚本平吉」などの文字が読み取れます。
また「伊藤総理閣下」「西村先知事」の扁額もあったようです。

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