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輪友商会/田邊洋服店/坂元商店

画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「勢力 第1号-第4号」からで、切り出して画像加工してあります。
明治40(1907)年に沖縄で発行された雑誌に掲載された広告です。

自転車及付属品販売/那覇石門/輪友商会 高鳥貞

最新流行 意匠斬新 調達迅速 洋服調進所
那覇区才の神 田邊洋服店

那覇東町通 坂元商店

竹細工一切 絵葉書 掛軸並教育書 雑貨硝子板 味噌醤油
那覇大門前久米角 坂元商店
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沖縄県統計抜粋表(明治16-17)

画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「沖縄県統計抜萃表 1883-1884(明治16-17)」からで、切り出して画像加工してあります。

http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=map&articleId=61650
穀物、砂糖、山藍、布、焼酎、漆器、家畜などの数です。

現在那覇市になっているのは(旧)那覇・首里と島尻郡の真和志村ですが、町方と農村で生活等が全く違っているのがうかがえます。
首里で豚の飼育数が多いのは三箇にある酒造所からの酒粕による飼育でしょうね。

昭和12年の証券・債券関係

昭和12年の「日報の沖縄人名録」、一般商工業者の項から証券・債券関係を抜き出します。

証券倶楽部
斉藤茂雄 西本町4ノ25(※斉は異字)
---
証券売買
瀬戸三次郎 西新町3ノ8
---
北原債券
北原 清 西本町2ノ22
---
債券売買業
末松長男 久茂地町1ノ80 電372


金丸房吉さんはいませんね...

金丸房吉

昭和12年の沖縄県人事録から。

金丸房吉
公債債権株式売買
襖掛軸書画骨董
那覇市天妃町2ノ13
君は宮崎県川原町の出身、明治18年を以て生る。大正元年に来県し、本県の人となって既に20有余年、此間終始一貫して表具店を経営し、傍ら株式債券仲買店を兼営、黙々として功を急がず遂に今日の基礎を築けり。尚君が株式仲買店を経営せしは大正10年のことにして、本県株式店の濫觴たり。以て同業界の信用大なり。推されて那覇市表具商組合長たり。
趣味は撞球と長唄。


天妃町(昭和4)を見ると大門前通りから久米大通りへ曲がって少し行った左手になるでしょうか。

片山徳次郎

片山徳次郎
1859(安政6)年〜1926(大正15)年
寄留商人。岡山県浅古郡に生まれる。1897(明治30)年那覇在の肥後孫左衛門のすすめで産業視察のため来県し、イグサ、アダン葉の有望性を認め事業家に乗り出した。当初はイグサによる花筵製造をすすめたが、のちアダン葉利用の帽子製造に着目し自ら研究を続けた。まず漂白法に成功、ついでパナマ帽類似の原料繊維の案出に成功する。


沖縄大百科事典の片山徳次郎の項を参照しました。同辞典のアダン葉帽子からも抜き出します(一部不明文字があります)。
児玉利吉についてはこちらを参照して下さい。

従来アダン葉はゴザ等をつくるのに利用される程度であったが、1900(明治33)年児玉利吉が琉球商会を成立して、○タバコや手さげ鞄などの製造を開始した。その後片山徳次郎がアダン葉の漂白方法や帽子製造方法を開発し、1904年特許を得手からアダン葉帽子の製造は急速に発達し沖縄県特産品となった。
製造所数は46にもおよび、雇用労働者数も職工5389人を数え、内職従事者を加えると2、3万人にも達したという。


『都道府県別資産家地主総覧[岡山編1、2]』という本を参照したと思われるページに片山徳次郎の名があります。

岡山縣(岡山市・御津・都窪・児島)一市三郡富豪家一覧表(明治41年)
小田村(柳田、小川、稗田)
10(所得金額 4,000円)
中塚勘一郎(農)、柘野徳太(農)、片山徳次郎(商)

http://www1.harenet.ne.jp/~wawa/K/kojimahugoukaitiran.htm


「博友」第7号の「片山徳次郎と阿旦葉帽子製造業-資料紹介と若干の考察-/望月雅彦」から。
•藍綬褒章を受けた際に提出された書類の1つに経歴書があり、そこに記載されている明治43年の下賜時点の住所は「沖縄県島尻郡真和志村字松川参百四拾九番地」。
•原籍は「岡山県浅口郡富田村字八島69番地」。
•明治16〜24年は神戸市三ノ宮町で竹材樟脳麦稈水産物の輸出に従事。
•明治24〜28年は鹿児島市生●町に移転し輸出業を続けながら花筵に関わる。明治28〜31年までは鹿児島市濱町で竹材麦稈真田●帽子製造に従事。
※明治30年に肥後孫左衛門に促されて沖縄視察
•明治31年に沖縄移住。


関連:グダグダ(β) 片山パナマ帽子製造場(片山徳次郎)

民有の銃砲/宿の数(明治25年)

沖縄縣内務部第一課による明治25年の「沖縄県治一覧」(発行は同27年、データは同25年)から。
画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫からで、切り出して画像加工してあります。

http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=61139#

民有の銃砲。意外と銃あったんですね。
軍銃19
洋形 12|和形 7
猟銃 423
洋形 91|和形 332


取締に関する諸営業から宿関係(単位は人)。これは単位が人なのでおそらく許可証持ちの数、宿1つに1人と考えていいんでしょう。
旅人宿 16
回漕店宿 2
間切村宿 212
下宿屋 9

間切村宿は宿小(ヤールグヮー)と同じであるなら数の多さも理解できます。宿小は普通の民家に宿泊人が泊まるようなものだったようです。

砂糖車での負傷

沖縄縣内務部第一課による明治25年の「沖縄県治一覧」(発行は同27年、データは同25年)から。
画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫からで、切り出して画像加工してあります。

http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=61139#
ハブ(飯匙)の患者が233人、死亡が33人。
製糖車の患者が18人、死亡が3人。
砂糖車に挟まれて手を失うなどの事故は結構あったようです。

象足や陰嚢象皮腫はおそらく象皮病(象皮病 - Wikipedia)です。検索すると「地方性象皮病ノ本態ニ關スル研究」という昭和13年の論文のpdfがあるのですが、これによると島尻などでも酷かったようです。
てっきり離島中心の話かと思ってました...

卸仲買及小売雑商(明治25年)

沖縄縣内務部第一課による明治25年の「沖縄県治一覧」(発行は同27年、データは同25年)から。
画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫からで、切り出して画像加工してあります。

http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=61139#
順番は<場所|卸売商|仲買商|小売商|雑商>です。
首里に小売が結構あったというのは意外でした。

•那覇|15|15|664|447
•首里|3|3|1115|307
•其他|0|2|1079|332

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