片山徳次郎
1859(安政6)年〜1926(大正15)年
寄留商人。岡山県浅古郡に生まれる。1897(明治30)年那覇在の肥後孫左衛門のすすめで産業視察のため来県し、イグサ、アダン葉の有望性を認め事業家に乗り出した。当初はイグサによる花筵製造をすすめたが、のちアダン葉利用の帽子製造に着目し自ら研究を続けた。まず漂白法に成功、ついでパナマ帽類似の原料繊維の案出に成功する。沖縄大百科事典の片山徳次郎の項を参照しました。同辞典のアダン葉帽子からも抜き出します(一部不明文字があります)。
児玉利吉については
こちらを参照して下さい。
従来アダン葉はゴザ等をつくるのに利用される程度であったが、1900(明治33)年児玉利吉が琉球商会を成立して、○タバコや手さげ鞄などの製造を開始した。その後片山徳次郎がアダン葉の漂白方法や帽子製造方法を開発し、1904年特許を得手からアダン葉帽子の製造は急速に発達し沖縄県特産品となった。
製造所数は46にもおよび、雇用労働者数も職工5389人を数え、内職従事者を加えると2、3万人にも達したという。『都道府県別資産家地主総覧[岡山編1、2]』という本を参照したと思われるページに片山徳次郎の名があります。
岡山縣(岡山市・御津・都窪・児島)一市三郡富豪家一覧表(明治41年)
小田村(柳田、小川、稗田)
10(所得金額 4,000円)
中塚勘一郎(農)、柘野徳太(農)、片山徳次郎(商)
http://www1.harenet.ne.jp/~wawa/K/kojimahugoukaitiran.htm「博友」第7号の「片山徳次郎と阿旦葉帽子製造業-資料紹介と若干の考察-/望月雅彦」から。
•藍綬褒章を受けた際に提出された書類の1つに経歴書があり、そこに記載されている明治43年の下賜時点の住所は「沖縄県島尻郡真和志村字松川参百四拾九番地」。
•原籍は「岡山県浅口郡富田村字八島69番地」。
•明治16〜24年は神戸市三ノ宮町で竹材樟脳麦稈水産物の輸出に従事。
•明治24〜28年は鹿児島市生●町に移転し輸出業を続けながら花筵に関わる。明治28〜31年までは鹿児島市濱町で竹材麦稈真田●帽子製造に従事。
※明治30年に肥後孫左衛門に促されて沖縄視察
•明治31年に沖縄移住。関連:
グダグダ(β) 片山パナマ帽子製造場(片山徳次郎)PR