那覇市役所の戦後編です。
先遣隊那覇へ 1945年11月10日、国頭の避難先から陶器、瓦工業をおこし、那覇の復興をはかるため103人の先遣隊が壷屋に入る。
壷屋に区役所 46年1月3日先遣隊の家族も集まり壷屋区役所をおく。
壷屋区を那覇市へ 1946年4月4日、壷屋区を那覇市に昇格。初代市長に当間重剛氏を任命、戦後の都市行政がスタートした。
市場敷地に天幕 1947年1月、牧志町の現市営市場敷地内に天幕を張り、仮市庁舎とする。
仮庁舎を移転 1948年11月、台風被害により樋川の開南小学校内の仮庁舎に移転。
コンセットで執務 1949年4月、仮庁舎を牧志の現グランドオリオンの敷地に移転、コンセット2棟を設置、執務体制を整える。
かわらぶきの平屋 1950年4月、コンセットをかわらぶき平屋に拡張改築し、都市計画行政にそなえる。
天妃小学校に移転 1953年5月、都市発展と行政規模の拡大により、旧天妃小学校に移転。以降13年使用する。
市政の殿堂完成 1965年9月18日、地下一階、地上5階、一部9階の鉄筋コンクリートで市庁舎を完成。盛大記念式典と4日間にわたって祝賀行事を催す。
市民の友 1965年9月15日 第181号(省略と抜粋)泉崎の現敷地の他には与儀公園なども候補に挙がっていたようです。与儀公園近辺は官公庁街になる可能性もあって、電電公社、郵便局、南方連絡事務所(
Wikipedia)などもありました。みんな移転してしまいましたが琉大病院や那覇病院などもありました。
PR