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拡張後の国際通り

国際通りは道路幅を拡張されています。引用した文は1955(昭和30)年頃のようすです。

牧志大通りを幅12間の拡張道路に、市は打ち出したが地主に反対され、歩道を含めて10間幅(18M)に落ち着いた。昨年[※1954年]12月5日早朝5時、牧志通り開通式。
ガーブ橋は公募の多数票で53年6月10日むつみ橋に改称した。
牧志のバス停付近は狭い空地を利用したにわか屋台や、ガム・チョコを売る立ち売り少年らで、ときならぬ盛り場風景をかもしている。
国際通りにはリウボウ・山形屋・たから百貨店・友寄百貨店・松坂屋・大越(57年)・民衆百貨店などのデパートが開店した。国際劇場に向かって右となり球陽堂書店、左となりに井筒屋があり、波上のしにせソバ屋である。国際通りの二階に60年頃牧志卓球場ができた。
戦後の沖縄世相史 p66、67(省略と抜粋)

写真はRemembering Okinawaさんから。ちょうど三越あたりから現在のてんぶすを見た感じのアングルで、中央が国際劇場、右手に球陽堂、写真には入っていない右手にたから百貨店があります。友寄百貨店は平和通り入り口そばです。
また大越は後年三越になります。

たから百貨店に関しては下のリンクを参考にして下さい。
参考:グダグダ たから百貨店
波の上の西武門あたりにあった井筒屋の位置はゆたか屋を参照。

この工事で立ち退きになった人達は新しい埋立地であった重民町(現在は前島になっている)に移動しました。
参考:グダグダ 泊港南岸埋立地

卓球場は小さなブームがあったようで、農連そばの水上店舗にもピンポンと書かれた字が残っています。少なくとも80年代には卓球場はもう無く、水上店舗の二階はビリヤード場がいくつかありました。
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