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大城外科そばの廃道

大城外科医院(壺屋1-28-18)付近の道の話です。
まず現在取り壊されている大城医院がまだあった頃のストリートビュー(8/29現在ストリートビューは更新されていません)。
大城外科(ひめゆり通り)
この近辺の道。

道に関してはひめゆり通り(330号)を挟んで那覇側と真和志側で好対照です。壺屋の集落は那覇側が古くて真和志側に拡大していってるのですが、那覇側は旧道がそのまま使われている箇所が多く残り、真和志側は区画整理が行われて格子状の道路ができ旧道はあまり使われなくなっているか消滅しています。しかし僅かに真和志側にも旧い道筋や痕跡は残っていて、ひめゆり通り(元線路)に分断される前からと思われる道や道の跡がひめゆり通りを挟んで正対しています。
壷屋の那覇側にある道路、たとえばグランドオリオンに行く道などには正対する大きな道が無く、日野通り()とは十字路になっていません。しかし旧い道筋を見ると正対する細い道(巾1.5M程)と繋がっていたのだと了解出来ます。

大城外科(ピンク)の側には昔は道があり()グランドオリオンの通りに合流していました。大城外科の後ろからは残っていています。
図中でグランドオリオン通りと大城外科からの通りは別の色で表しているのですが、もともと大城外科からの通りはグランドオリオンに行き、現在グランドオリオン向けにひめゆり通りから入ってゆく道は壷屋部落の中へ入って行くような交差する二つの道だったわけです。大城外科の側は道が無くなり、現在の道がグランドオリオンへ続くように整形されているのが現在の道筋です。
大城外科そばに道があったとわからなければわかりにくいですが、現在の道筋も完全に直線化はされていないので過去のおもかげは残っています。

図中の赤い箇所は那覇民俗地図ではビズル嶽(ビジュル)になっていて、確か現在も祠があったかと記憶します。
図は「最新沖縄県番地入地図(74年)」と那覇民俗地図、それに「那覇市壺屋地区における石敢當と集落形態」中の図を参考にしました。

参考:グダグダ(β) 壷屋の旧道(1920年代)
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