左画像は沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫の「沖縄志 巻1/伊地知 貞馨/1877(明治10)」の那覇港図からで、切り出して画像加工してあります。
右図は昭和初期の地図を南北逆転したもの。


下図は「垣花村跡」の「本遺跡周辺の古地図(明治期)」を参考に海岸線を描き入れたものです。

下左図は嘉手納宗徳さん作成の「明治初年の久米大通りの図」、下右図は比較用に昭和初めの地図の同アングル。
明治初年の久米大通りでの図を再掲。


渡地が離れ小島であったことや思案橋などがわかるかと思います。
後の通堂1丁目あたりが唐船小堀と迎恩亭、2丁目が明治初期では離れ小島だった一帯になります。
参考:
グダグダ(β) 通堂町(昭和4)貴重資料デジタル書庫「沖縄志 巻1/伊地知 貞馨」
http://archive.library.pref.okinawa.jp/?type=book&articleId=50045