興味深いページを見つけたのでご紹介。
オキナワ・ストリートウォーカー パラダイス通り特集【Okinawa情報局】
http://www.okinawajoho.net/pc/street/paradise/index.html
戦後、今のパラダイス通りのちょうど真ん中あたりに「ニューパラダイス」という名前のダンスホールがありました。若者を中心に日本人もアメリカ人も誰もが踊れる社交場として大流行し、「ニューパラダイス」に集まる人々が店の前の狭い通りのことを自然と「ニューパラダイス通り」と呼ぶようになったのです。
上の図で画面左端の青で示されたところがニューパラダイスです(ゼンリン69年度版による)。
【追記】「那覇市旧跡・歴史的地名地図」ではその向い側になっています。ゼンリン地図で確認できるダンス教授所は三カ所あって赤い点で表示しました。水色のが飲食業らしき名前の店舗、黒い点は商店や理髪店などの飲食以外の店舗、四角で囲った場所が新成駐車場です(現在はマンション?)。
ニューパラダイスの建物はわりと後まで残ってたようですが自分は記憶がありません。通りにずらっと平屋一階建ての木造建築の店舗が建ち並んでいたのは憶えています。
興味深い文があります。
>戦争が終わって地主がいなくなってしまったこの辺りには、沢山の人々が勝手に住みついていたんです。
>そこで那覇市が区画整理を行い、ひとり30坪づつ土地を割り当てました。
>私たち兄弟は5人で150坪をもらい、そこに当時船員だった兄が廃材を集めてレストランを造ったのです。
>それが最初の「ニューパラダイス」でした。パラダイス通り周辺もスラム的発生をしていたんですね。
自分の推測では新県道(国際通り)以前の道は山形屋裏から沖映通りのパチンコ店脇駐車場に出て沖映通りを渡り現在の建物の間を通る道が通行路だったんではないかと思います。この道は現在の公園側を通るパラダイス通りと平行した細道を通り一銀通りに至っています。
そして戦前ではこのあたりは墓地地帯に囲まれていて集落がありません。

戦前の図では牧志町から美栄橋町にいたる道がその道に該当するかと思われます。
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