65年発行の那覇市明細地図を参考に左図を書きました(上大道原中心でそばの地域はすべて書き入れていません)。右は真和志民俗地図を参考にした戦前の道路図です。


原の範囲の白線はいい加減に書いた地番です。道路等と重なっている箇所も現在の区画と同じになっている箇所もありますが違っている箇所もあります。
上大道原の左側、字安里羽佐間原(白い部分)には南北に道が通っていますがこの道路はバイパス的な道です。右の戦前の図にはこの道と重なるような道はありません。
戦前の道は迂回するような形でしか移動できませんでしたがこの道によって部落内を移動するのが容易になりました。
※道路について間違いがありましたので訂正しました(2011.03.03)安里から松川までで戦前の部落について触れましたが、戦前この一帯は大通り沿いにしか住居が無かったようなので、栄町の登場と戦後の人口増加に対応した区域なのだと思われます。

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