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空襲罹災地域

10・10空襲(1944.10.10)で被害を受けた地域です。図は「那覇市被害状況図」、那覇百年のあゆみに掲載されているものを参考にしました。
自分が作った図は元図が昭和初期相当のものなので昭和19年当時とはすこし違いがあることを考慮くださいませ。
空襲罹災地域
まず港湾が破壊され、三次空襲が垣花、四次空襲が那覇市街地だったようです。これによって90%が焼失しました。
酷い話なんですが富山徳潤那覇市長は空襲後に九州疎開地視察と称して沖縄を出て戻りませんでした。島田県知事と対比させて語られることの多い話です。
那覇市長に兼島助役
那覇市長富山徳潤氏は敵来こう前県外出張したまま帰任せぬので島田知事は市長の留守をあづかって敢闘した兼島景範氏を廿七日付をもって市長に任命した
http://hc6.seikyou.ne.jp/home/okisennokioku-bunkan/okinawasendetakan/okinawasennosinbunkara.htm


沖縄に展開中の日本の戦闘機部隊は、陸軍第8飛行師団隷下の独立飛行第23中隊(三式戦闘機など12機)のみで、(略)海軍の銀河爆撃機9機や偵察機、輸送途中の航空機があるだけという状態だった。空中退避が間に合わないまま、多くの航空機が地上撃破された。独立飛行第23中隊は離陸に成功したものの、大半が撃墜された。

航空機以外にも日本側の被害は甚大で、港に停泊中の潜水母艦迅鯨など海軍艦艇22隻、輸送船4隻が撃沈され、輸送船2隻が大破した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/十・十空襲


迅鯨が沖縄で沈んだことや三式戦闘機(飛燕)が配備されていたことは初めて知りました。
この空襲以降疎開が増加してゆきます。


この図は手元のコピー(書名不明)を参考に作成しました。
「那覇市被害状況図」、『「10・10南西空襲戦闘詳報」より』と書かれています。

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