那覇と松尾の境界の続きです。
当時の写真で美栄橋と松尾の境界線(ピンク)を見てみます。


まず新県道(国際通り)が緩やかにカーブしていることがわかります。川向こうの久茂地町と対比すると新県道周辺にはあまり建物が無く、真和志民俗地図でも畑と墓の記号が見られることから真和志村の松尾原は田舎で久茂地川沿いの那覇美栄橋町が都会/住宅地といった構図が見えます。
当時の境界線で見ると那覇の中心部と県庁に近い部分が都会化し、開通間もない新県道が畑と墓地があるだけの寂しい場所であったというのは不思議ではありません。
この美栄橋・松尾の境界線辺りが久茂地になりかつての地名の違いがあったことが不思議に思えるというのは戦後の商業中心地の大移動を反映しています。
戦前は東町を中心として周辺部に当たる土地、戦後はむつみ橋を中心とした商業地から続く国際通りの端でバス交通の要所というポジションに変化しています。旧真和志村の都会化とそこへ繋がる道路と交通網の整備という方向性は現在の那覇市周辺地域の開発とそこへの道路網の整備という形で続き那覇は常に周辺地域への拡大を続けています。
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