古波蔵の原名です。
原の位置は真和志民俗地図、鉄道駅の位置は「酔古ざつがく」さまを参考にしています。
沖縄県営鉄道 与那原線の今と昔を訪ねて
http://www.geocities.co.jp/kikuuj/zatugaku/keibin/yonabarusen1.htm

長作原(ナガサクバル)、兼久原(カネクバル)、行田谷原(ユクタヤバル)です。
東は国場瓦屋原、北は与儀与武門原(ユンジョウバル)と前原と楚辺美武田原、西は壺川(阿手川原・赤畑原)と接しています。
古波蔵部落は湾曲した形をしていますが兼久原の名前の通りこのあたりはカニクで旧海岸線だったのではないでしょうか。
那覇民俗地図では古波蔵部落の脇に「島尻農学校敷地(現古蔵中学校)」と書かれており、写真では川にグラウンドのようなものが見えます。民俗地図の想定は昭和初期で写真は米軍撮影ですからこの期間に埋立をしたのかもしれません。
いままで気がつかなかったのですが与儀タンク跡となっているあたりに四角形の敷地が見えており、これは与儀与武門原の熊本鎮台(俗称ヘイタイヤー)と一致します。
また写真右上にある道は国場から寄宮へ行く道で平行するように与儀射撃場が見えます。
参考:
与儀(ユージ) 2あとわかんないのは国場部落に地図にはない橋が見えることですが...
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