1947年頃の真和志支所近くから神里原に下りてゆく道周辺です。

図の参考にしたのは
那覇復興地図です。
話は赤線で描いた道のことなのですが、この道が旧道なのかわかりませんでした。1945年の地図にはこの道は無いのですが1947年には存在しますのでその間に作られたのだろうと思われます。
1946年の地図もあるのですがその地図にもこの道は無く住居も殆どありません。47年になると図ではピンクで示した住居が出現します。
このあたりは戦後那覇の開放時期とつきあわせると確かだと思われます。
余談としては寄宮十字路がまだ存在せずT字路になっています。当時は寄宮中学校側に一つ入った道が現在の道の機能を果たしていたんでしょう。※
真和志小学校周辺を参照して下さい。
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