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当間モウシの事業

承前。
グダグダ 当間モウシ
グダグダ 塩田
昭和5年頃の塩田
このころは泊塩田における塩の最盛期である。製塩業者は余暇悪天候を利用し安里川流域、潮渡川流域の泥田を開拓し、塩田の拡張を図った。
祖先親譲りの塩田を持たない次男・三男の人々は「当間モウシ」の小作人となり、赤面原で塩田するものもあった
那覇市史 資料編第2巻中の7 p273


千原繁子さんの「カルテの余白」に塩田のことが書かれています。

昭和4年までは塩田は健在で、安里の女学校に通うのに、近道として塩田を横切って行った。東京に出てから、夫婦岩までの全塩田を払い下げるのに、入札者は一人もなく、当間モウシという東町の材木商の寡婦が二千円で買ったという噂を聞いた。この人は、一部を小市場の地続きに埋立して当間屋敷という貸家を作り、一部を小作人の組織のようにして、塩焼き人に塩田として貸していた。
カルテの余白 p112、113


千原さんは大正4年に東京女子医学専門学校に入学していますのでその後の話なんでしょう。
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