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真和志の業平

面白いとこがあったので抜粋。

1942(昭和12)年、初子は六年勤めた西新井小学校を辞めて帰郷した。結婚の話があったからである。相手は県立二中の先生だった。ところが初子が選んだ伴侶は宮里栄輝であった。後日、それを知った東京の初子の弟らはカンカンに怒った。それにはこういう経緯があったからだ。
宮里栄輝。当時私立開南中学校の教師。「真和志の業平」とうわさされるほどのプレイボーイで、悪名はそのころ那覇中で評判だった。二人は栄輝が以前に県立図書館に勤めていたころからの知合い。栄輝との縁談が持ち上がるや、初子の元に栄輝を中傷する悪宣伝や雑音がドッと入ってきた。友人や親戚もこぞって反対した。周辺があまりに反対するので、勝ち気な初子はそれに余計に反発、「私が栄輝を立ち直らせてみせる」と宣言、強引に結婚にこぎつけたのである。
「時代を彩った女たち」より抜粋


現代でもよくいるタイプの夫婦じゃないか(笑)。

宮里初子
1908(明治41)年東町生まれ(二階ヌ石川小)、父石川正徳、母モウシ。那覇市立高等女学校、第三高等女学校教員養成所卒、以降教師。1958(昭和33)年立法院議員。
1990(平成2)年死去。
「時代を彩った女たち」より抜粋


この夫婦についてはご子息の書かれた「<ウチナー>見果てぬ夢 -宮里栄輝とその時代」が詳しいです。
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