国場の瓦屋原です。


ここは地形も道もあとかたも無くお手上げだったので適当に描きました(すみません)。
瓦屋原はその名前の通り由緒正しい場所です。その他の国場の原名については
国場の原名を見て下さい。
真和志村字国場の小字に瓦屋原がある。「旧記」の伝える処によれば、瓦の製造を始めたのは支那人で、国場村にいて一女を娶り、真玉橋の東に陶舎を建て、瓦器を製造したという事である。
沖縄地名考/宮城真治グダグダ 瓦屋瓦屋原ですが真和志民俗地図を見るとカラヤー毛を中心とした、というかカラヤー毛そのものが瓦屋原のようです、瓦屋原のほぼ中心点が頂になっていますが現在の地形ではそのような箇所はありません。また窯跡の調査発掘もあったはずですが真和志民俗地図には時期的に記載されていません。教育委員会がまとめてると思いますので探してみます。
とりあえず国場の原名は終わったということでほっとしています(笑)。
現在国場と言われて連想する範囲より遥かに広い範囲が国場で寄宮十字路付近も元は国場です。
真和志民俗地図をみると真和志南部は国場・仲井真・上間・識名と連続して集落が続いています。農地が意味を失い都市中心からどれだけ離れているかが便利さの尺度となってしまう現代では当時の土地の価値観というのはなかなかわかりづらいものがあります(国場側の水運なども)。
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