上間・識名周辺の屋取で泊下(ティマシチャ)について触れました。トマ下、トマシチャと書かれてある場合もあります。
真地小学校周辺に戦後まで畑の中にポツポツと5、6軒の泊下(ティマシチャ)という屋取村があった。繁多川、真地はもともと識名村の屋取村が分立したものである。
上間誌 p82真和志民俗地図ではポインタの位置辺りがトマシチャ、線で囲った道のことをトマシチャミチと書いています。このあたりも環状2号線が通りだいぶ変わってしまっているのでだいたいでしか言えないのですが、識名園から真地に向かってゆく道の脇に御殿後原(ウドンクシバル)があり、そこの真地側にトマシチャがあったということです。
御殿後原は識名園の十字路一帯に集落があったようでここが真地の中心部だったのでしょうか(未確認)。
図では書き入れてませんがトマシチャは繁多川の外れにあった尚家の馬場からヒジガワビラ(比地川坂)を横切りまっすぐ進む道に接しています。この道を過ぎてから少し行った南風原側は竹下原となっています。
地形的には緑が高台で上間・識名があり、周辺の低地に向けて下る地形の端にトマシチャはあります。なぜか部落は高台にあることが多いですよね...
識名は墓地になっている場所が多いですがこれは60年代の墓地造成によるものです。墓地の中に馬場から進める道がありますがあの道がトマシチャの側を通っていた道なのかもしれません(行き止まりだけど)。
参考:
辻原PR