多和田原(銘苅)で多和田巫殿内(ヌンドゥンチ)について少し触れました。下の図では空白になっている箇所が米軍住宅地でしたのでそのなかにあったことになります。

多和田巫殿内は戦後(昭和27、8年頃)に寄宮に移動されて現在は知事公舎の北あたりにあり、現在は二坪程のコンクリート造りの神屋が二棟建っているそうです(安謝誌 p67)。
天久の地縁 2で銘苅のこともさっと触れたのですが、土地接収によって銘苅の人達は寄宮一丁目あたりに移動しているので拝所も移住先に移動したのでしょう。
多和田巫殿内があった場所は字銘苅で安謝と銘苅の境目は多和田ガーラなのですが、旧暦五月のグングヮチウマチーでは近くの井戸御嶽や多和田巫殿内、スグルクガーなども拝んでいたようです。
PR