戦後すぐの寄宮、参考にしたのは那覇復興地図です。


オレンジが荒地、緑が水田、赤が住宅、茶が道で破線になっているところは庭園路です。真和志小は45年から残っていますが省いてあります。
寄宮十字路から知事公舎を越えて与儀公園一帯までは水田の記号がつけられているのですがこれは空撮写真から判断したという那覇復興地図の成り立ちからの違いかもしれません。
与儀の暮らしでは「
1928(昭和3)年農事試験場建設のときは内地からたくさん人が来た。夫も土地をはかりに行った。サトウキビ畑が広がっていたが農事試験場がみんな取った。あそこは与儀部落の財産だったが強制だった。」という証言があるので畑だったのではないかと思うのですがどうでしょうか。ただしガーブ沿いは湿地でどうにもならなかったという証言もあるのでわからんとこではあります。
まずこの範囲の地形なのですが、右に上間・識名の高台がありなだらかに寄宮十字路付近の低地に下る地形です。オレンジの荒野となっている箇所はほとんどが山裾や丘となっていて右端のオレンジ色でない部分も斜面なので耕作できない場所です。中央の寄宮中学校は周囲から一段高い丘になっています。
戦前相当の真和志民俗地図と47年を比較すると、寄宮中学校前と真和志小学校横の集落が戦前とは違う形での集落になっています。
真和志小学校後方、現在の農協があるところの後ろは碁盤目に近い形で区画があります。これもこの時代の名残なのかもしれません。
那覇寄宮3 - Google マップ参考:
グダグダ 大原区(寄宮)参考:
グダグダ 大石毛参考:
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