沖縄タイムス掲載の「思い出のわが町」から。想定年代は昭和5〜6年頃のようです(参照:那覇の民俗編集ニュース)。
ゼロから作っているので多少の歪みがありますのでご注意。

またピンクで示した民家には畑地の所有者名と思われるものもあるのですが、特に「畑」と書かれていないものは民家にしてあります。具体的には図の右側にある大きな敷地の部分です。

いくつかの別荘、海に近いあたりにはヰー畑(いぐさ)、そして墓地があり、泉崎と旭町に近いあたりは宅地化してきています。またブリヤシチ(群屋敷)や貸家の表示も見え庶民の住む地域だったこともわかります。
拝所と旧跡(赤と緑)、井戸(青)、後年の施設と道路(紫)など。銀バスはもうありませんが過去の地図を参照するれば参考になるんではないかと。

参考:
グダグダ(β) 壺川PR