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城岳(真和志)

以前に書いたものをサルベージ。
以下は引用で、引用先を忘れてしまいましたがたぶん真和志市誌か南島風土記からの引用だと思います。
二つは冊封使の中国人の記録、一つは由来記による記録、最初の概要を述べた部分は書いた人によるものでしょう。

城嶽(ぐすくだけ) <靈嶽>

古へ、樹木鬱蒼として繁り、岳下に湧田の殿(とん)があり、又汪樋川がある。

那覇付近随一の霊所である。支那人修して、霊嶽と唱へ付近に貝塚があって有名である。この地が琉球島の地理のもっとも古い場所であることが貝塚発掘によつてわかると言はれてゐる。

汪楫録に、

霊嶽、城嶽と名づく、那覇港の東南に在り、山甚だしく高からず、樹木鬱蒼山頂に屋一区あり、扁して城嶽と曰ふ。貢船の船子の立つる所とす。壁間悉く建屋助工人の姓名を記すること略々中国に倣ふ。屋中一も祀る所なく、屋後地上に瓦爐を錯置し数十を以つて算す。或は一石を祀り、或は一樹を祀る。神の憑依するところなりと曰ふ。(屋前高松数百株、此処に坐すれば人をして暑さを忘れしむ云々)と叙してゐるところから見ても、城嶽が静粛な清遊の地であったと共に、又海上安泰を祈願する拝所でもあった。

徐葆光の傳信録に

汪使旧録に板屋一区あり、今已(すで)に盡く廃し、惟叢灌一林密篠蕉石を以つて神となし、酒を注ぎて福を祈る、渡海報賽の地となってゐる。

尚琉球国由来記に依れば

古波蔵之嶽「神名アヤフト御イベ」城嶽「神名アヤクヒヤ御イベ」の二嶽は一つの囲いの中にあつて、拝所であり、両方にある。東方は城嶽と云ひ、西方は古波蔵嶽と称す。そしてこの嶽は楚辺の大阿母の管掌であると見えている。


汪楫=清の冊封使、1683年に来琉
傳信録=中山伝信録、1719年に来琉した冊封使の徐葆光による記録
琉球国由来記=首里王府による初の琉球国の地誌 1713年成立

船乗りの拝所だったこと、拝む対象が樹や石だったこと(中国人には異様だったのでしょう)。
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