普通に生活の中で使われている呼び名でも正式名称でなかったりするものがあります。通り会がきめたからだれもがそう呼んでくれるってわけでもないのですけどね...
通り会も存在せず正式名称でもないのに名は体を表している名作通り名(笑)に仏壇通りがあります。
図の開南バス停から与儀十字路までの区間です(ピンク)。

一昔前まで郊外から那覇への買い物等は現在と比較にならないほどバスが使われており、中心的なバス停が開南と牧志でした。
開南には交番もあり行く先案内人までいました。
開南は地名でもなく現在は存在しない開南中学校がもとになっています。開南中学校は戦争で崩壊してしまいました。
開南派出所があったころに開南から農連市場へのバイパス道路が開通します(60年代)。このバイパス開通は神里原のヤミ市がおさまり衰退がおきてからの工事です。
現在の裁判所の位置には刑務所、その隣には戦前開南中学校がありました。
この刑務所には瀬長亀次郎も収監されており、当時のニュース写真等で周辺をみることができます。また刑務所角には瀬長一家がお店をやっていました。奥様の瀬長フミさんは後年那覇市議になります。
神原小・中から与儀公園にかけては農業(農事)試験場でしたが戦後の土地住宅不足を考慮して用途変更されました。戦前を想定して作られた那覇民俗地図では試験場から開南にかけては史跡・住居・道路もほぼ存在しない地域になっています。
PR