那覇商業高校周辺前の通りを考えてみます。
図は現在も位置が変わらず存在している場所や旧跡と昔の道筋(茶・オレンジ・ピンク)です。

グレーが久米、茶色の道より海側が松山町、久茂地側が松下町です。中心の黒い四角が松山尋常小学校で現在の那覇商、
Aは跡地が残っている
東寿寺(堂小)、
Bは松山交差点付近と特定されているイベガマです。
この図に現在の道路を重ねてみます。

那覇商の前の通りのスタートは御成橋でゴールは旧久米郵便局横(裁判所)ですがこの二つは位置が変化していません。そして現在の那覇商前通りは堂小(
A)と那覇商の間を通っています。
松山・松下をまっすぐ走る松山の通りも昔の道筋とはあまり関係がありません。
現在の通りは一銀通りから久茂地小の側を通りまっすぐです。この辺りで変わらないのは久茂地小(那覇の大あむ屋敷跡)、イベガマ跡(
B)です。久茂地小の前の通りから渡っていた久茂地橋は一銀通りを通って渡るように変わっています。その辺を頭にいれて線を引くとだいたい図のようになります。
若狭町大通りは現那覇中の久茂地側を通っていましたが、戦後の区画整理で海側を通るように改修されています。戦後埋立するまでは現在の那覇中の向こう側は海でした。
若狭町は戦後都市計画により再開発されているので昔の面影はほぼありません。
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