与儀の集落図です。
•与儀原
•船増原(フナマシバル)
•宇蘭原(ウランバル)
•与武門原(ユンジョウバル)
•後原(クシバル)
•西原(イリバル/船増原の上方、神原中・小の場所)与儀タンクがあった場所以外は古い道や旧跡がほぼ残っていて、楚辺から下りてきた道の側には与儀馬場、集落の中心部のウタキ周辺には紫色で示した本家筋があります。引用します。
与儀の本家筋はナナムートゥとて七軒あって現在も同様に繁栄している。
イー(ラキブチとも与儀巫殿内ともいって高安姓を名乗る)
ウフ アガリ<宮城>
ウフ イリ<城間>
ウドゥンヤー<城間 大東[ウフアガリ]の分家>
ウフンミ<大嶺>
シリー<城間>
シチャナーカ<島袋>
那覇市史資料編第二巻中の7、p499その他周辺には道を渡った
宮城原に宮城ウガン、道の側にトングヮー(糸満人拝所)があります。図の右側、
国場勝良又原には日本軍与儀射撃場が
寄宮国映通りと重なるように存在します。
射撃場側の「イバヤ」ですがなんであるのかわかりません。しかしその北に存在する橋は真和志民俗地図ではイバヤ橋と称されていて関連があると思われます。またこの橋はヒータイ橋(兵隊橋)とも呼ばれていたようです。
イバヤについて追記しました。→
イバヤ橋イバヤ=射場ヤのようです。
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