フェーヤチガマが灰焼き釜ではないかと書いたのですがビンゴでした。

「戦前の字上之屋民俗地図」には天久の寺の横あたりに<フェーヤチガマ(5〜6コ)>とあるんですがその横に石灰工場地帯と書かれているのを見落していました。>< 図では
赤にフと書いてあります。
泊・上之屋あたりは集落のど真ん中を58号線が通ったせいもあって具体的な場所がわからないことも多いのですがいくつかの地図をつきあわせるしかありません。天久も跡形もないせいもあって正確な場所がわかりづらいです。
調べようとするとまず那覇民俗地図と真和志民俗地図は同じ那覇市が制作したものなのに泊と上之屋の境界線が違います(わりと正確なイメージ図という感じ)。
「那覇市明細地図」(65年)というのがあり、これは地番入り、天久誌の「昭和10年頃の天久村の民俗地図」も部落の様子に加えて地番が入っています(!)。これらと上之屋民俗地図をつきあわせてこの地図の分くらいまでなんとか特定が出来ました。とはいえいい加減なもんなんですが...
洋順毛でグダグダ書いたわりにはっきり特定できなかったのですが上之屋民俗地図と那覇市明細地図の突き合わせで泊高校北側だとわかりました。
図での道は茶色で表していて現在存在しないところは半透明にしてあります。跡形もない道なんですが割と上之屋民俗地図が正確だったのでほぼ間違いないと思います。これに関しては那覇市の両民俗地図があまりあてにできなかったのでこれに振り回された感じですね...

那覇市の図もこの図に近いのですが現代の図の上にそのまま書くことは出来ません。
PR