ハルゴー
ハルゴーというのは首里の金城、崎山部落を例にとると魚下附近から嶽下、長良辺にかけては遠畑で個人で毎日畑を巡視することはできないので、ハルドゥナイ(畑隣り)の人々が寄り合ってハルゴーをつくり、作物の盗難があった場合交代して夜中巡視したのである。なにごともなく無事一年が過ぎた場合には金を出し合い会食した。
国場部落ではカツマタ原、カラヤー原、アレー田原、長田原屋(ハルヤー)、クチャンミ原屋があって、それぞれのハルシンカ(畑の地主)が各原、各原屋でハルゴーをつくり、首里から移住してきたヤードゥインチュ(屋取人)に巡視を頼んでいた。各ハルゴーシンカは年一回ヤードゥインチュの家でヌチャーシーして御馳走を食べる習わしであった。
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ハルマーヤー
国場部落では農作物の盗難を巡視する役目の人で、大抵60歳前後の老人が六尺棒を小脇にかかえて、さとうきびその他の農作物に被害はないかと監視して歩いた。
那覇市史資料編第2巻 中の7 p250(抜粋と編集)
原屋(ハルヤー)は住み込んで農耕するための家で、「
長田原屋(ハルヤー)、クチャンミ原屋」では屋取人に巡視を頼んでいたということですから、国場の周辺部には寄宮十字路付近以外にも屋取がいたということになります。
関連:
グダグダ(β) 戦前の寄宮 (宮城原・寄増原の屋取)