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シーシンサー

天久誌によると泊港そばの巨岩はシーシンサーと呼ばれていたようです。

地図では天久台病院からまっすぐ西に進んだあたり、外人墓地から北上すると右側にある道路の分岐点そばになります。


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Comment

シーシンサー

  • とみとん
  • 2011-07-04 17:10
  • edit
こんにちは
楽しく拝見させていただいています
小生は昭和40年頃、旧高橋2丁目に住んでいましたのでこの岩のことは知っていますよ
泊高橋から海側の方へ進んでいくと外人墓地があり、さらに進むと琉球造船所がありました。道はそこで途切れるのですがそこからさらに海岸線を安謝方面に行くと途中にその大岩がありました。その大岩が泊と安謝の境界のような感じでした
山手(天久側)にはお墓がたくさんあり、とても怖いところと記憶しています
岩の海側(今の漁連あたり)が那覇のごみ処分場でした
市内で集めたごみをその海岸で燃やしていました
環境保護なんかどうでも良い時代ですね(笑)
小生は友達何名かと連れだってそのゴミ焼き場へ行きごみの中に混じっているお金を(燃やされてススだらけになった硬貨を拾いに行きました
殆んどが1¢硬貨でしたがたまに50¢硬貨を拾うこともありましたよ(笑)
・・・
そこで管理人さんにお願いがあります
上記のごみ処分場のことについて調べていただいたら幸いでございます

Re:シーシンサー

  • No Name Ninja 〔管理人〕
  • 2011-07-04 20:19
コメントありがとうございます。

時間がかかりそうなのでwebで見ることができる場所をご紹介します。
http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/photos_search.php
那覇市歴史博物館の写真資料検索ですがここに「安謝のチリ焼場」という写真があります。検索項目から資料名を選択して検索語に「安謝のチリ焼場」と入れると写真を見ることが出来ます。
もとは「写真でつづる 那覇戦後50年 1945-1995」という本に掲載されている写真で、県立・市立図書館とも貸し出し可能のようです。

チリ焼き場の来歴のことは下記アドレスで触れられていますが1969年に焼却炉が完成するまでは露天焼きだったようですね。
http://www.jichiro.gr.jp/jichiken/report/rep_okinawa31/jichiken31/1/1_1_j_27/1_1_j_27.htm

国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムから1970年5月の天久高台近辺。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=MOK701&courseno=C10&photono=14
もう焼却炉が完成している頃ですから露天焼きは行われていないでしょうね。

調べるとなると処分場史や行政の記録、それと当時の市勢要覧あたりを調べることになるでしょうか。
けっこう難しそうなテーマです。

安謝のチリ焼場

  • とみとん
  • 2011-07-05 10:12
  • edit
早速のご対応ありがとうございます
那覇市歴史博物館の写真資料で確認できました
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