「繁多川100周年記念誌 繁多川」(p112)を参考に図を作成。
イシジャミチと
ヌージャミチは昭和に入ってからの道です。作戦道路は沖縄戦直前に作られています。
イシジャミチ(石田道)
イシジャミチは現在のバス通りで沖縄戦前・戦後にわたって真和志小学校への通学路、那覇の街への往来や運搬路として大変重要な道となっている。開通は、昭和に入ってからで、昭和10年代に開通したヌージャミチより以前に開通していたと言われている。
「繁多川100周年記念誌 繁多川」 p67(抜粋と編集)同誌別箇所からですが繁多川からは真和志小学校(上間で明13開校、明30に寄宮)にイシジャミチ〜大石橋を通って通学していたようです。
交通機関の発達に伴って、沖縄県内では県道や組合道路など主要道路の整備が行われ、真和志村でも村道の整備が行われた。『真和志市誌』によると首里・真和志の道路では首里 - 一日橋間の道路や首里 - 真玉橋間の道路(真珠道)も整備された。 1935(昭和10)年に首里バスが設立され、市内にバスが運行された。繁多川の近くでは大道の停留所があり、昭和10年代にヌージャミチが開通すると、この道を通って大道まで歩いてバスを利用したという。また軽便鉄道では安里駅が利用された。
「繁多川100周年記念誌 繁多川」 p112(抜粋と編集)PR