表の比較での「合資会社謝花酒造所/安里447」かもしれない場所で、地図での「安里447」の位置をポインタで示してあります。
ピンポイントにここであったとは言えませんが沖縄主要地主要商工年鑑(1952)ではだいたいこの位置にあります。
謝花 寛/安里447番地 「南部酒造組合」
26.合資会社謝花酒造所/琉球泡盛・白菊/那覇市字安里 [酒造組合名簿(62年)]
参考として69年のゼンリン地図での現安里駅あたりがどうなっていたのか図にしてみます。69年時点では謝花酒造所はもうありません。
ポインタは「謝花弘」さん、赤で示した道幅はほぼ同じです。安里立体高架橋は1970年完成のようです。

以下余談として。関連性があるのかどうかわからないのですが戦前の若狭町には「与儀謝花酒屋」というのがあります。安里の謝花酒造所と戦前の若狭にあった酒屋の関連性は不明です。

以前コメントでタコーヌスージは「与儀達幸」さんの名前からの命名ということを御教示いただきました(
Link)。与儀謝花酒屋は裁判所の向かいにあるタコーヌスージを入っていって右側、まっすぐ行った突き当たりは漆器工場になっています。
まとまりがないまま書きましたが、酒造業者の免許はなかなか手に入るものではないことや酒造り職人は限られていることなどから、戦前の酒造業者が戦後も酒造りにたずさわったというのは自然なことだと考えます。
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