崇元寺通り・昭和通り(52年)での崇元寺通り部分の後半です。
右図は沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の第十二〜十四図で、後半の今回は牧港自動車株式会社(
緑で表示)から泊高橋までの区間です。

1は安里側から。
知花工作所、石川カジヤ工場、池原商店(くすり 酒類)、外真金物店、瑞ヶ覧金物店、城間金物店、若竹食堂、ハッピー食堂、クインアイスケーキ、崇元寺食堂、琉米文化会館、琉球中央政府資源局、崇元寺派出所。ここから向こう側の泊一帯は
エンジニア部隊です。
後方(天久側)には安里側から順に
●綿花工業所(●は○に綿)、丸京工芸社、一丸旅館、白梅旅館があります。
2も安里側から。
金城商店、つるや質屋、丸仲食堂、大福理髪館、小渡金物店、石川薬舗、よしや食堂、松島食堂、メリー食堂、奥間菓子店、光和食堂、タマヤガラス店、富村洗濯所、沖縄タイムス社、やましろ屋食堂(角)。道をこえて
玉江工業所(バッテリー充電修理)、大嶺鉄工所、○洋鉄工所、マルマサ商会(自動車三輪車エンジン修理塗装)、大井川鉄工所、山中組、丸真組、少し間隔が空いて
OK運輸社修理工場、合資会社千代田ゴム工業所(*1)、大城鉄工所、大和商会。
また後方(川側)には大福理髪館後方に
大福湯、崇元寺橋側に
富名腰旅館、沖縄建築資材株式会社があります。
※*1「タイヤー チューブ 更正焼付修理 合資会社千代田ゴム工業所」
気がつくのはエンジニア部隊の向いには鉄工所が集中していることですね。OK運輸修理工場はおそらく後年のOK給油所です。
52年当時前島はまだ解放されていません。
参考:
グダグダ(β) 前島のスクラップPR